マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

選挙は面白がらなければ

 ――選挙は面白い。

 という言葉を――
 マスメディアを介し、よく耳にするようになりました。

 今月に入って、民主党自民党で党のトップを決める選挙が進行中だからでしょう。

 ある評論家は、

 ――選挙は面白い。また、面白がらなければならない。

 とコメントをしていました。

 複雑な心境が吐露されたものと思います。

「選挙は面白い」というのは、実は、身も蓋もない言葉ではないでしょうか。

 選挙というのは、少なくとも民主主義政治の文脈では、合法的な集団闘争であり、かつ死人も怪我人も出ない非暴力の闘争であって――
 そういう意味では、まことに結構な闘争なのですが――
 闘争であることに変わりはないのです。

 ですから、「選挙は面白い」とは、

 ――闘争は面白い。

 ということに他なりません。

 人類の歴史を振り返ったときに――
 人には闘争を楽しむ感性が備わっているという仮説は、極めて自然であるといえましょう。

 残念ながら――
 人は、放っておけば争ってしまう生き物です。

 とはいえ――
 そうした感性は、少なくとも人道的な見地からは、あまり褒められたものではありませんよね。

 ですから、

 ――「選挙は面白い」とは、なんと不見識な!

 と厳しく批判されても、おかしくはないのですが――
 ことは、そう単純ではありません。

 もし、民主主義政治が放棄されたら、どういうことになるのか――ということについても――
 少し考える必要があります。

 民主主義政治が放棄されたら――
 選挙という名の非暴力闘争の代わりに、武力を用いた本物の暴力闘争が始まるのです。

 つまり、「選挙を面白がらなくてはならない」というのは、

 ――武力を用いた本物の暴力闘争を防ぐためには、選挙という名の非暴力闘争を十分に楽しむ感性が必要だ。

 ということです。

 もう少し明確にいうならば、

 ――非暴力闘争に飽き足らなくなって、暴力闘争にのめり込むようなことは、決してあってはならない。

 ということです。