マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

無駄を省くには

 一見、無駄に思えることにも、

 ――ひょっとして、それにも何か意味があるのかも……?

 と思える感覚は――

 おそらくは――
 心の余裕に根ざしているでしょう。

「一見、無駄に思えること」が、そのまま無駄に感じられるときには――
 たぶん、その人の心に余裕がないのです。

 無駄を省くには、急であってはいけません。

 まずは本当に無駄であるのかどうか――
 そこを慎重に見極めて――

 誰の目にも明らかに無駄であることが確認できれば――
 その時点で、おもむろに省けばよいのです。

 もし、どうしても急に省かなければ意味がないようなときには――
 それが博打であることを肝に銘じるのが、よいでしょう。

 博打は、最後は個人の責任で成されます。

 組織や集団が博打をするときには――
 それら組織や集団の指導者・個人の責任で成されます。

 よって、どんなに急いで博打をするときであっても――
 その博打の責任が、当該の個人によって担われうるのかどうか――
 せめて、そのことを立ち止まって考えるくらいの心の余裕が欲しいところです。