誰もがわかっていることなのに――
それをそうと言い切ることはできなくて――
でも――
自分には、それをそうと言い切ることが許されている――
そういうときに――
あなたは、それをそうと言い切ることに、何か意義を見出しますか。
例えば――
社運をかけたプロジェクトが失敗していて――
そのことは、社員の誰もがわかっていて――
でも――
そのプロジェクトのことを「失敗している」とは誰にもいえなくて――
唯一、社長だけがいえるとして――
そして――
その社長が、あなただとして――
あなたは、「このプロジェクトは失敗だ」と言い切ることに、何か意義を感じられますか――
ということです。
ここに――
組織としての意思決定の矛盾が、端的に現れていると感じます。
組織とは、個人の集合――個人どうしの有機的な結びつきの集合――ではありますが――
組織には、時には、あたかも個人であるかのように、明確に意思決定を下さなければならない局面があります。
その意思決定の責任は、組織が組織全体で負うのではなく、あくまでも個人が負う――
たいていは、その組織の最高責任者・指導者が、個人の責任として負うのですね。
大きな矛盾です。
本来は、明らかに組織としての責任なのに、個人の責任として負わされるのですから――
その矛盾を引き受ける覚悟のある人こそ――
誰もがわかっていることで、かつ誰もが言い切りたがらないことを、あえて言い切ることに、意義を見出します。
一言でいうならば――
それは、無私の心の発露です。