マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「心」という名のパン生地を

 人の頭は――
 単純作業に取り組んでいるときは、まんべんなく全体的に頭を動かしているように感じられます。

 一方――
 何か創造的な作業に取り組んでいるときには――今、これを“創造作業”と名付けますと――

 創造作業に取り組んでいるときは、頭のごく一部だけが猛烈な勢いで動いているように感じられます。

 以上は――
 僕の主観的な想像であり――
 学術的な根拠などは何一つないのですが――

 単純作業に没頭したあとは――
 何となく頭がスッキリするのですね。
 感じたことや考えたことが、心の全体に程よく散らばっているような感じ――

 これに対し――
 創造作業に没頭したあとは――
 何となく頭がダルいのです。
 感じたことや考えたことが、心の一部に集中してしまっているような感じ――

 喩えていうならば――
「心」という名のパン生地を考えたときに――
 単純作業では、生地の全体をこねまわすような感じで――
 創造作業では、生地の一部をひねりだすような感じで――

 単純作業を繰り返せば、生地は生地として熟成されるのでしょうが――
 生地は生地のままで、パンが焼きだされることはない――

 が――
 創造作業を繰り返せば、生地からパンが次々と焼きだされるでしょうが――
 生地は次々と目減りして、いつしかパンが焼きだされなくなる――

 そういうことではないか、と――
 思うのです。

 単純作業が生地の全体をこねまわすことで――
 創造作業が生地の一部をひねりだすことならば――
 何が生地を継ぎ足すことに相当するのか――

 それは――
 おそらくは未来永劫、決して継ぎ足されることはないのです。

 少年・少女時代の瑞々しい感性で見聞きし、理解し、吸収し、納得してきたものだけが全てであって――
 その限られた生地の中から、あとはひたすらにパンを焼きだしていくしかない――
 そういうことなのだと思います。