マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

風立てり。いざ生きよとや

 宮崎駿さんの映画『風立ちぬ』が公開されてから――
 堀辰雄の小説『風立ちぬ』に出てくる有名な句、

 ――風立ちぬ、いざ生きめやも

 が、あらためて取り上げられるようになりました。

 この句は――
 19世紀フランスに生まれた詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節を、堀辰雄が、あえて日本語の古語に訳したもの――
 と解釈されています。

 その一節とは、

 ――Le vent se lève, il faut tenter de vivre

 だそうです。

 ところが――
 これを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳するのは、あきらかに誤りなのだそうで――
 以前から文壇で盛んに指弾されてきたことです。

 一方――
 そんな堀辰雄の訳を盛んに擁護する向きも根強いのですね。

 曰く、

 ――たしかに誤訳だが、文芸的には、まことに優れた言い回しだ。

 と――

 僕自身は、フランス語がさっぱりわからないので――
 この論争には加われないのですが――

 この度、この『海辺の墓地』の一節が英語に翻訳されたものをネットから探し出してきまして――
 それが、

 ――The wind is rising, you should try to live

 です。

 訳する人によって、「you」が「we」になったり、「should」が「must」になったりと、バリエーションは様々なのですが――
 だいたい、どの英語訳も、こんな感じなのですね。

 で――
 もし、この英語訳が正しいのなら、
(たしかに、誤訳だよな~)
 と――
 僕も思います。

 前半の「風立ちぬ」はともかく――
 後半の「いざ生きめやも」は、あきらかに誤訳です。

 この「生きめやも」は、通常は反語表現ですから、現代語に訳せば「生きようか。いや、やめておこう」となって、「you should try to live (生きようとするのがよい)」とは反対の意味になってしまうのですね。

 が――
 単なる誤訳と切って捨てるには惜しい風情が、この句にありまして――「風立ちぬ、いざ生きめやも」――やはり、言葉の響きが実によいのですね。

 とくに「生きめやも」の響きが実によい――

 反語表現は疑問表現の派生形とみなせます。

 思うに、堀辰雄は「生きめやも」を、反語表現としてではなく、純粋な疑問表現として用いたのではないでしょうか。
 断定表現は、小説『風立ちぬ』のような文脈では、日本人の情感として、今一つ的外れだからです。

 もし僕が訳すとしても――
 断定表現は絶対に避けたいところです。

 ちなみに――
 前半の「風立ちぬ」については――
 僕個人は、ちょっとした違和感を覚えています。

 完了の助動詞「ぬ」が用いられていますが――
 これだと、すでに風が吹き終わって、すっかり凪いでしまっているかのような印象を抱いてしまうのです。

 同じ完了の助動詞である「り」は使えないのですかね。
 助動詞「り」には「存続」の意味もあるので、まだ風が吹き終わっていなくて、今も吹いている風情が十分に暗示されると思うのです。

 つまり――
 もし僕が「The wind is rising, you should try to live」を日本語の古語に訳すとしたら――
 次のようになります。

 ――風立てり、いざ生きよとや

 これをあえて現代語に訳せば、

 ――風が吹いた。「いざ生きよ」というように

 です。

 まあ、原文は、あくまでもフランス語の「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」であって、英語の「The wind is
rising, you should try to live」ではないので――
 僕の訳に少しでも意義があるといえるかは大いにあやしいのですが……(苦笑

 ただの言葉遊びです。