マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「本性」は使いづらい

 ――本性

 といえば――
 ふつう、

 ――その人が持っている本来の性格や気質

 といった中立的な意味で用いられる言葉です。

 辞書を調べても、そこに記載されている意味合いは、あくまでも中立的です。

 が――
 日常の場面では、中立的に用いられることは稀といってよいでしょう。

「それは、あいつの本性だ」とか「いよいよ本性を表してきた」とかいうときの「本性」は――
 あきらかに否定的な意味合いです。

 ――その人が本当は隠し持っている醜い性質や性分

 といったくらいの意味ですね。

 例えば、「あの方の本性は素晴らしい」とか「本性を表して立派に行動した」とかいった言い方は、およそ聞いたことがない――
 少なくとも僕はそうです。

 どうやら、「本性」という言葉は、

 ――人が本来的に備える性質は否定されるべきもの

 との性悪説的な考えに依っているのでしょうね。

 そう思うと――
 なかなかに使いづらい言葉です。

 性善説に立ちたいと思っている人はもちろんのこと――
 性善説性悪説かの二者択一を迫られたくない人にとっても――
 使いづらい言葉です。