マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その僅かな情報に辿りつけるかどうか

 人が本当に、

 ――いいたい!

 と思うようなことは――
 実際には、なかなかいえないものです。

 心の底から、

 ――これは、ぜったい誰かに伝えたい。

 と思うことは――
 むしろ、滅多に表に出てこない――

 なぜか――

 それは――
 そういうことというのが――人が本当にいいたいと思うようなことというのが――たいていの場合は、自分自身ないし他の誰かを深く傷つけるからです。

 その実例を――
 僕は幾つか知っています。

 厳密には、「ここ1~2年で知るようになった」です――2011年3月の東日本大震災の後で――

 僕が実例を幾つか知ることができた理由は――
 僕が2011年の3月に宮城・石巻にいたからに他なりません。

 いなかったら――
 おそらくは、知ることはなかったでしょう。

 事実、僕は1995年1月に阪神・淡路にはいなかった――
 それゆえに、僕は、このことを――つまり、人が本当に「いいたい!」と思うようなことは、実際には、なかなかいえないものだということを――阪神淡路大震災では、決して知ることがありませんでした。

 高度情報化社会――
 などといいますが――

 巷で溢れている情報の中に、誰かが「これは、ぜったい誰かに伝えたい」と思っているような情報が、どれほど含まれているか――

 おそらく――
 ごく僅かしか含まれていないでしょう。

 その僅かな情報に辿りつけるかどうか――

 辿りつけなければ――
 高度情報化社会に暮らしている意味は、あまりないのです。