議論のための議論というのは――
傍聴するものではありませんね。
疲れてしまう――
議論のための議論とは――
議論を続けること自体に目的があって、何か有益な結論を出すことが目的ではない議論ですから――
とにかく表面的には議論を続けていれば、それでいいのですね。
議論が噛み合っていなくても構わない――
あえて噛み合わせようとしない――
そのためには――
わざわざ論点をボカすとかズラすとかいった対応が有効となります。
例えば、
――AはBなのか?
と問われ、
――「Aのようなことが、ときにBであることはある」といえる場合はあるが、いえない場合もある。
と答えたり、
――CがDであることには間違いがない。
と答えたり――
こういう議論を傍聴していると――
ゲンナリしてきますよね。
実際に議論している人たちも、ゲンナリするのではないかと思います。
ですから――
議論のための議論をするくらいなら、議論それ自体をやめればいいと思うのですが――
そうもいかない現実があるようですね――
とくに政治の世界などでは――