おとといの『道草日記』で、
――絵画の美・醜
について述べました。
その続きです。
*
美しいものをずっとみていると、何が美しいかがよくわかってくる――
とは、よくいわれることですが――
僕は――
醜いものをずっとみていても――
何が美しいかが、よくわかってくるのではないか、と――
思っています。
あるいは――
美しいものをずっとみていると、何が美しいかだけではなくて――
何が醜いかも、よくわかってくる、と――
――美・醜に本質的な区別はつけられないのではないか。
という話です。
完成された醜、洗練された醜、まったく隙のない醜というものが成立しうる、と――
僕は本気で思っています。
すなわち――
完成された美、洗練された美、まったく隙のない美が、何の問題もなく成立しているように――
……
……
美・醜の区別は、人の一時の主観であり、わかりやすくいえば、それは、
――好み
です。
おそらくは――
大勢の人々が好むものを「美」と、また、大勢の人が嫌うものを「醜」というように――
ひとまずの記号を当てているに過ぎません。
もちろん――
それら記号の意味するところに、多少の質的な違いはあるでしょうが――
その違いは、
――美とは何か、醜とは何か。
を議論する上では――
さして重要とは思えません。