何かをやって後悔をする人と何もしないで後悔をする人とがいて――
一般に、「何かをやって後悔をする人」のほうが、「何もしないで後悔をする人」よりも、一目おかれる傾向にあるようですが――
ふだんから物を深く考えている人は、「何かをやって後悔をする」ことのほうが、「何もしないで後悔をする」ことよりも、いくらか多いようです。
もちろん、一口に「何かをやって後悔をする」といっても、様々なパターンがあります。
例えば、「必要なことをやって後悔をする」というのは――
無意味な後悔ですよね。
少なくとも、それをやったときには、それが「必要なこと」と思ってやったわけですから――
あとでクヨクヨするのは、人として潔くないばかりか、まったく意味がない――
これに対し――
例えば、「念のためにやって後悔をする」や「やってもやらなくてもよいことをやって後悔をする」というのは、無意味な後悔ではありません。
もちろん、「意味のある後悔」とまではいいたくありませんが――
少なくとも、
――看過すべからざる後悔
とはいってよいでしょう。
要するに、「念のためにやっておく」や「やってもやらなくてもよいことをやっておく」というのは、時に繁雑な無駄を生み、時に余計な危険を招きうる、ということです。
しばしば、
――単純こそ最善である。
などといいますが――
この言葉は、おそらく、「無駄」の繁雑さや「余計」の危険性への注意喚起でもあるのです。