マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本語なのに、なぜ日本語だとわからなかったのか

 飲食店でご飯を食べていたら――
 
 若い女性のお客さんが入ってきて――
 若い男性の店員さんにむかって、
 
 ――ano otoire wa dokodesuka?
 
 と訊いてきました。
 
 店員さんは、すっかり気が動転してしまったようで、
「あ、すみません。ちょっと俺、日本語以外ダメなんで……」
 と、年かさの男性の店員さんに向かって助けを求めました。
 
 さっそく――
 その年かさの男性の店員さんが駆け寄って、改めて耳を傾けてみると、
「あのぉ、おといれは、どこですか?」
 と訊いていたことがわかったのです。
 
 つまり、
 
 ――あの、おトイレは、どこですか?
 
 ですね。
 
 その若い女性のお客さんは――
 容貌から察するに、東南アジア系でした。
 
 その女性がトイレに行っている間に、
「……“日本語以外ダメ”って、思いっきり日本語じゃねえか」
 と、年かさの男性の店員さんがからかうと――
 若い男性の店員さんは、
「いや~、たしかに……。英語だと思ったんすよね~」 
 と、茫然自失の体でした。
 
 女性がトイレから戻ってきてテーブルに着くころには、苦笑いを浮かべていましたが――
 戸惑いの表情は、しばらくは残っていました。
 
 おそらく――
 その戸惑いの主因は、
 
 ――日本語なのに、なぜ日本語だとわからなかったのか。
 
 ということでしょう。
 
 実は――
 僕にも同じ経験があります。
 
 日本語以外のコミュニケーションに慣れていないと――
 日本語を日本語だとわからなくなることが、まれにあるのです。
 
 大学で学んでいた頃――
 僕は、ときどき英語を使っていました。
 
 大学を出て市井で働くようになって、英語を使う機会がめっきり減ったときに――
 僕も外国人から日本語で話しかけられたことがあって――
 
 それが日本語だと、すぐにはわかりませんでした。
 
 それで、
(英語を使わないでいると、“日本語”もわからなくなるんだな)
 と痛感し――
 以後、たまには英語を使うようにしています。
 
 日本語の感覚を研ぎ澄ませようと思ったら――
 日本語だけを使っていたのではダメなのですね。
 
 もちろん――
 この、
 
 ――英語を使わないでいると、“日本語”もわからなくなる。
 
 の“日本語”は――
 日本語を母語としない人たちの話す日本語――という意味です。