極端な意見や過激な考え方というのは――
それをただの見世物として提示するぶんには一向に構わなくて――
むしろ面白いもの、興味深いものなのですが――
現実に何か決め事を行う際には――
そうした意見や考え方を参考とすることに、ふつうは強い違和感を覚えます。
つまり――
誰かを説得しようと思ったら――
極端な意見や過激な考え方では、“絶対”といってよいほどに、無理なのですね。
その“極端さ”や“過激さ”ゆえに――
意見や考え方の方向性それ自体は度外視された上で――
問答無用に排除されてしまいます。
なので――
例えば――
多数派の意見に自分は賛成できそうにないと思う時には――
その多数派の意見に反対する考え方を、
――穏便に
提示する必要があるのだそうです。
決して「過激に」提示してはいけないのですね。
たとえ、
――オレは絶対に許せん! 断固、反対だ!
と内心では思っていても――
絶対に「過激に」は反対してはいけない――あくまでも「穏便に」反対しなければならない――
それが、多数派の意見に反対する時の極意なのだそうです。
(たしかに、そうだろうな)
と思います。