マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「予測して決断する」の難しさ

 これまでに起こった事象を分析して批評することは、(一定の教養や経験があれば)わりと易しいのですが――
 これから起こるであろう事象を予測して決断することは、(一定の教養や経験があっても)なかなかに難しいのです。

 この「予測して決断する」の難しさを――
 10代、20代のうちは、そう簡単には実感できません。

 よって――
 10代、20代の人は――
 何らかの事象を予測して決断し、その結果、不運にも失敗してしまった人を無意識に嘲(あざけ)った上で、その同じ事象をあとから分析して批評してみせる――
 という愚を犯しやすいものです。

 僕自身も――
 そういう愚をよく犯していました。

     *

 20代半ばまで――
 僕は医学生でした。

 医学生の多くは、自分の勉強の一環として――
 自分の指導医らが、ある患者に対し、どのように診断を下し、どのように治療を施していったかを報告文にまとめます。

 僕の場合は、約1年半の間に月2人くらいのペースで(計30人分くらいの)患者の報告文をまとめました。

 その中の1人の患者は――
 指導医らの治療が全くうまくいきませんでした。

 ――こんなにうまくいかないことは滅多にない。

 と指導医らが口をそろえるくらいに――
 うまくいきませんでした。

 その患者の報告文をまとめて――
 僕は、居並ぶ指導医らの前で発表をしました。

 5分間程度の発表であったと記憶しております。

 その発表の後で――
 居並ぶ指導医らの中で最上席に座っている医師――つまり、教授――から、

 ――この患者の治療の結果をみて、何を思ったか。

 と下問され――
 20代半ばの僕は、

 ――どんな治療も計画の段階では決して失敗しないが、実行の段階では不幸にして失敗することがある。そのことを痛感した。

 と答えました。

 後日――
 その場に居合わせていたと思しき30代の医師が、僕に向かって、
「あの時の君の発表、よく覚えてるよ」
 といいました。

「なんで、そんなによく覚えていらっしゃるのです?」
 と訊き返すと、
「いやぁ、何でもない。君は知らなくていいことだ」
 と言い返されました。

 あとで――
 同級生の1人が教えてくれました。

「“わざわざいわんでいいことをいう奴として、印象に残ってる”って意味だったみたいだよ」
 と――

 つまり――
 この時の僕は――
 まさに――
 何らかの事象を予測して決断し、その結果、不運にも失敗してしまった人を無意識に嘲(あざけ)った上で、その同じ事象をあとから分析して批評してみせる――
 の愚を犯していたことになります。