ついうっかり愚痴をもらしそうになるということは――
誰しも日常的に経験していると思いますが――
僕も、経験している一人です。
そうやって愚痴をもらしそうになって――
もらさずに済んだときは、
(ああ、よかった)
と――
清々しい気分になるものですが――
ついうっかり、もらしてしまったときは――
とても残念な気持ちになります。
それは、たぶん僕に限ったことではないでしょう。
――六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり。闇路に闇路を踏みそえて、いつか生死を離るべし
とは――
ここでいう「六趣輪廻」とは、「六道輪廻」と同じ意味で――
その“さまよい”の原因が「因縁」であり――
その「因縁」こそが「己が愚痴の闇路なり」というのですね。
いつも愚痴をこぼしながら生きることが“闇路を行くこと”に喩えられているようです。
僕が、
(いいな)
と思うのは――
その次の「闇路に闇路をふみそえて」の句です。
この句、“とことん愚痴をこぼし続けること”を意味してはいませんかね。
人は、愚痴をこぼしに、こぼして、こぼし尽くせば、いつか生きる苦しみや死ぬ恐怖から開放されるであろう、と――
愚痴をこぼすことの無意味さだけでなく、そのツラさや疎ましさ、煩わしさ――そういったものすべてを痛感することで――
人は、やがて愚痴をこぼさなくなる――
そういう意味に――
僕には思えてなりません。