マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

同じだからわかるのか、違うからわかるのか

 自分と同じだからわかるのか――
 自分とは違うからわかるのか――

 そこが気になっています。

 どういうことか――

 いま――
 仮に、世の中の全ての人たちが、何らかの基準によって、2種類に分けられるとして――
 それらのうちの1種類の人たちの気持ちはよくわかるけれども、もう1種類の人たちの気持ちはよくわからない、というようなことがあるとして――
 そうした差異の生じうる理由が気になっています。

 例えば――
 世の中の全ての人たちが、

 ――社交的

 か、

 ――内向的

 かのどちらかに分けられるとして――
 自分は、どうやら「内向的」な人たちの気持ちのほうが、「社交的」な人たちの気持ちよりも、よくわかるようだ、というときに、

 ――自分は内向的だから、同じ内向的な人たちの気持ちがわかるのか、それとも、社交的だから、自分とは違う内向的な人たちの気持ちがわかるのか。どちらなのか。

 ということです。

 20代の頃は、
(同じだから、わかる)
 と思っていました。

 ところが――

 40代になって、
(ひょっとして……、違うから、わかるのか)
 と思うようになってきたのですね。

 つまり――
 自分と同じだと――
 人は、かえってわかりづらくなるのではないか、と――

 この話の根底にあるのは、

 ――人の気持ちがよくわかるのは、その人に自分が似ているからなのか、それとも似ていないからなのか。

 という問題意識です。

 それは――
 自分にとって最後までよくわからないのは自分自身ではないか――
 という問題意識でもあります。