マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

芸術作品の評価における主役は誰か

 芸術作品の良し悪しが判断されるときに――
 僕らが、ぜひとも気をつけたいことは――
 その良し悪しの判断の対象ではなくて、主体こそが真価を問われている――
 ということです。

 芸術作品の良し悪しというものは――
 結局のところ――
 評者の主観が決めるのであって――
 普遍の客観が決めるのではありません。

 身体能力の良し悪しなら――
 普遍の客観が決めます――時間とか空間とかに刻まれた基準(目盛)が決める――

 例えば――
 100m走ではタイムが――
 ハンマー投げでは距離が――
 普遍の客観です。

 が――
 芸術作品の評価に、万人が納得するような客観的基準は存在しません。

 例えば――
 文芸賞には100m走のタイムに相当するような――
 建築賞にはハンマー投げの距離に相当するような――
 普遍の客観は存在しません。

 存在するのは、選考委員らの主観的感性に基づく悟性のみです。

 よって――
 芸術作品が表彰されたときに、もっとも大切なことは――
 どんな作品が表彰されたかではありません。

 どんな人が表彰したかです。

 どんな人が、どんな感性のもとに、どんな考えによって、どんな美点を顕彰したかです。

 それが全てといってもよい――

 芸術作品の評価における主役は誰か――

 作品ではありません。

 評者です。

 作品は主役の相手役――つまり、脇役の一種です。