マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

抑えがたい感情のほとばしりがあるから

 先月13日にフランス・パリで起きた同時多発テロ事件で――
 34歳のフランス人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんは、奥様を殺害されました。

 レリスさんは、生後1年5か月の息子さんと2人きりになりました。

 その思いを――
 レリスさんはソーシャル・ネットワーキング・サービス上に綴り――
 その文章が、世界中で共感をよんでいるといいます。

 その文章は――
 テロ事件を起こした人たちに向かってもので――
 その主旨は、

 ――君たちに憎しみという贈り物はあげない。

 というものです。

 テロ事件で奥様を亡くしたあとも、以前と同じように、息子さんと一緒に平穏に暮らしていく――テロ事件の首謀者や実行犯たちを憎むことはせずに――
 よって、自分たちはテロリズムには決して屈しない――

 ――君たちの負けだ。

 と――

     *

 正直に申し上げると――

 僕は――
 レリスさんの文章を最初に読んだ時に――
 ほとんど共感ができなかったのですね。

「君たちに憎しみという贈り物はあげない」という表現には、むしろ憎しみが凝縮されていると感じました。

 その憎しみを必死に覆い隠そうとして――
 かえって露わになってしまっている、と――

 それでは――
 レリスさんの器量が小さく感じられるのですね。

 翻訳の問題かと思い――
 原文を探しましたが――

 原文はフランス語で、僕はフランス語がまったくわからないものですから――
 すっかり諦めていました。

 ところが、きょうになって――
 原文を英語に翻訳したものをいくつかみつけました。

 それを読むと――
 例えば、「君たちに憎しみという贈り物はあげない」というのは、

 ―― I will not give you the privilege of hating you.

 と訳されていました――「the privilege」の代わりに「the satisfaction」をあてているものもありました。

(なるほど……)
 と思いました。

 どういうことか――

 英語の翻訳を読む限り――
「君たちに憎しみという贈り物をあげない」というのは、
  
 ――憎しみを差し上げるつもりはありません。

 くらいのニュアンスなのですね。

 また――
 他にも、「憎しみに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる」という箇所があり――
 該当する英文は、

 ―― replying to hatred with anger would be giving in to the same ignorance which made you into what you
are.

 ないし、

 ―― to respond to hatred with anger would be to give in the same ignorance that made you what you are.

 です。

 これも、

 ――憎しみに怒りで応じれば、あなた方を今のように変えてしまった無知に屈することになります。

 くらいのニュアンスです。

 最大のポイントは――
 筆者が礼節を最大限に保とうと努めている点です。

 よって、「you」の訳語としては、「君たち」ではなく、「あなた方」のほうが適切ですし――
「君たちと同じ無知」の訳は、「君たち」と「無知」とを同一視しているように読めてしまうために、やはり不適切です。

 ところが――
 このように礼節を最大限に保とうと努めている文面の中で――
 ところどころに、

 ――You have lost.

 のような不穏な句が含まれているのですね。

 日本語に訳せば、

 ――あなた方の負けです。

 くらいになりましょうか。

 こうした表現については――
 さすがに礼節が欠けているとみなさざるをえない――あるいは、礼節が弱まっている、と――

 ここに――
 レリスさんの抑えがたい感情のほとばしりがある、と――
 考えることができます。

 そして――
 世界中の人々は、そのほとばしりを必死で抑えようとしている文面に共感をしたのでしょう。

(そういうことなら、よくわかる)
 と、合点がいきました。