――戦いの物語の主人公は女性に限る。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
理由は、
――主人公が男性だと、戦いの物語をリアルに描きにくいから――
です。
リアルに描けば描くほどに――
物語は凄惨となり、悲劇となり、半ば喜劇じみてきます。
具体例を一つ挙げましょう。
男性です。
戦術家として卓越した技量を発揮し――
その戦術は、現代でも研究の対象にされるといいます。
ハンニバル・バルカの名を戦史に刻み込んだのは――
この戦いで――
ハンニバルは、麾下の兵力5万を駆使し、兵力8万のローマ軍を破ります。
ローマ軍は6万人が死傷し、1万人が捕虜になったといいますから――
いわゆる、
――完膚なきまでの
圧勝でした。
この戦いでハンニバルが採用した包囲殲滅作戦は、
――芸術的
といわれていて――
後世の戦術家たちの手本とされました。
現代の戦術の教科書にも――
ハンニバルの包囲殲滅作戦は必ず記載されるのだそうです。
このハンニバルの戦いの物語をリアルに描くと、どうなるか――
もちろん――
エンターテインメントに徹して描けば、痛快な活劇となることはいうまでもありません。
が――
もし、リアルに描けば、おそらくは暗澹たる悲劇となるでしょう。
そして――
決して見逃せないことは――
この戦いに至るまでにハンニバルたちの払った犠牲が、常軌を逸していた点です。
この移動で、麾下6万の兵が半減したといいます。
たしかに、後世、戦術の天才として賞賛を集めるにふさわしい人物です。
が――
外交のために戦略があり、戦略のために戦術があるのであって――
その逆ではありません。
戦術の天才として後世の賞賛の的であるハンニバルでさえ、
――戦略の不利は、どんなに卓越した戦術によっても、覆されることはない。
という戦史上の経験則をなぞりました。
ハンニバルの軍は――
母国カルタゴからは地中海等で隔てられ――
イタリア半島に孤立しました。
カンナエの戦いでローマ軍を壊滅させたにもかかわらず――
そして――
ほどなく、母国の近くまで攻め寄せてきたローマ軍と対峙することになり――
今度は自分が包囲殲滅作戦を仕掛けられ、完敗を喫するのです。
冬のアルプス越えもカンナエの圧勝も――
結局は、敵味方のおびただしい将兵をいたずらに死なせただけで――
外交上の成果は実りませんでした。
これは失態です――外交のために戦略があり、戦略のために戦術があるのですから――
……
……
よって――
ハンニバルの戦いの物語をリアルに描くと――
悲劇を通り越して、喜劇となりかねません。
後世の戦史を知っている僕らからすれば――
少なくとも結果論的には――
冬のアルプス越えなどに先見性は見出せず、カンナエの包囲殲滅戦は無駄な殺傷にすぎず――
むしろ、大局的な見地に立って、ローマとの共存・共栄を図る戦略を練るほうがスマートであり――
そうした戦略を試みた将軍を主人公に描くほうが、たとえ同じ結末であっても、救いのある物語になることは明らかでしょう。
もし、どうしてもハンニバルを主人公に据えて、救いのある物語を描くなら――
フィクショナルの度合いを高めていかざるを得ません。
極端な話――
結末を変えるとか――カルタゴは滅ばなかった、むしろ、ローマが滅んだ、とか――
……
……
ところが――
もし、この戦いの物語の主人公が女性ならば――
そんな無理をする必要はなくなります。
仮に、どんなに戦いをリアルに描いたところで――
そもそも、「外交のために戦略があり、戦略のための戦術がある」といった戦いのリアルに焦点が当たりません。
――だって、冬のアルプス越えやカンナエの包囲殲滅戦をやってのけた将軍が女だったって話なんだよ?
といわれて――
戦いのリアルに焦点を当てる無粋を指摘されて――
おしまいです。
――そんな女主人公が出てくる時点で、すでに十分に荒唐無稽なんだから、うるさいことをいいなさんな。
というわけです。
戦いをどんなにリアルに描いても、そこに焦点が当たることはない――
何か他の主題に焦点が当たる――
しかし、戦いのリアルは十分に伝えられる――それをみようとする受け手には十分すぎるほどに伝わるくらいに、伝えられる――
それゆえに――
僕は、
――戦いの物語の主人公は女性に限る。
と思っているのですね。
……
……
ちなみに――
……
……
ただの言葉遊びです。