マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然科学のセンスの迸り

 自然科学のセンスは、

 ――自分の知識や理解で説明がつかないことへの興味・関心や畏怖・畏敬

 に結晶化されうる、と――
 僕は考えています。

 自然科学のセンスに富んでいるとは――
 決して、知識の量が豊かであったり、理解の力が逞しかったりすることではなくて――
 また、綿密な観察や巧緻な実験の企画・実行に長けていることでもありません。

 自分の知識の量や理解の力が及ばないときに、
(うわぁ~! スゴい! 素晴らしい!)
 と深く感じ入ったり――
(これは一体どうなっているんだ!)
 と激しく心を揺さぶられたりする――
 そういう感性の持ち主こそが、

 ――自然科学のセンスに富んだ人

 なのです。

 このセンスは――
 まったく静的なものではなくて――
 断然、動的なものです。

 自然科学のセンスに富んだ人は――
 ときに自分の命を賭してまで、自分の興味・関心や畏怖・畏敬に身を委ねようとします。

 小学生の頃にみた海外の映画の中で――
 火山の噴火口の様子を確かめるべく登山中であった火山学者が大噴火に直面し、猛烈な勢いで斜面を駈け下ってくる火砕流に立ち向かって歓喜の絶叫を張り上げ、絶命するシーンがあったのですが――

 その火山学者の“歓喜”が何を意味していたのか――
 子どもの僕にはわかりませんでした。

 今は、わかります。

 そのシーンで描かれていたものは――
 自然科学のセンスに富んだ人の――
 そのセンスの迸(ほとばし)りです。