マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「決定力不足」のまやかし

 サッカーの試合などで――
 しばしば、

 ――決定力不足

 という言葉が使われますね。

 ふつうは――
 シュートを確実に決める能力が足らないことです。

 ボールを、相手ゴールの中へ――
 確実に足で蹴りこんだり、確実に頭で叩きこんだりする能力が――
 物足りないようだと、

 ――あの選手は決定力不足だ。

 などと評されます。

 とりわけ、サッカー日本代表チームは――
 ワールドカップに連続出場するようになった以降も――
 チーム全体として、しばしば、「決定力不足」と評されます。

 国内のメディアはもとより、最近では、海外のメディアでも――
 そのように評しているようです。

 このことは――
 それだけ、日本のサッカーが注目されるようになった証左と考えることもできますから――
 日本のサッカーファンにとっては、必ずしも悲観すべきことではないと思いますが――

 それにしても――

 これだけ、色々なところで、「決定力不足」と評され続ける意味を――
 僕らは、もう少し真剣に考えても、よいでしょう。

 ……

 ……

 そもそも、「決定力不足」とは、何でしょうか。

 この言葉の前後の文脈からは――
 しばしば、

 ――精神面の弱さ

 というニュアンスが感じとれます。

 あるいは――
 純粋に精神面だけではなく、

 ――“精神面の弱さ”と“技術力の低さ”とが混然一体となった力量不足

 というニュアンスが感じとれることもあります。

 が――

 はたして――
 本当に、そうなのでしょうか。

 ……

 ……

 僕は、
(純粋に“技術力”の話ではないか)
 と思っています。

 サッカーに限らず――
 スポーツに限らず――
 あらゆる芸事において――
“精神面の強さ”は、“技術力の高さ”によって支持されます。

 技術力が低いのに精神面が強いということは――
 ふつうは、ありえません。

 つまり――
 サッカー日本代表チームに「決定力不足」があるのなら――
 それは、日本の一流のサッカー選手らは、海外の一流のサッカー選手らと比べて、まだまだ技術力が低い、ということを意味しているに他ならない――
 ということです。

 そろそろ――
 日本のサッカーファンは、「決定力不足」という言葉を捨てるときではないでしょうか。

「決定力不足」という言葉が、まやかしとなって――
 実態を覆い隠しているように思えてなりません。

「決定力不足」ではなく、単に「技術力不足」――

 こちらのほうが――
 実態をより的確に表現しているように――
 僕には思えます。

 ……

 ……

 以上のようなことを――

 おととい――
 サッカー日本代表のW杯最終予選・第2戦(タイ戦・アウェイ)をTV観戦しながら――
 考えました。