その芸は――
例えば、300年前と全く同じように今日まで受け継がれている、ということはなく――
少しずつ少しずつ進化してきているのだそうです。
当代きっての人形遣いと目される方が――
TVカメラの前で語っていらっしゃるのを見ました。
(それは、そうだろう)
と思いました。
(全く同じように……ということは、ありそうにもない)
と――
人のやることです。
300年前と全く同じ芸が受け継がれうるわけがありません。
必ずや、少しずつ少しずつ変化してきているはずです。
その変化を「進化」と呼べるかどうかは――
多分に主観的な判断であり――
少し醒めた目で見て――
かつ、かなりイジワルないい方をすれば――
(それが「進化」と呼べるものだといいですね)
となるのですが――
実際に――
その伝統芸能の世界にいる人が、明確に、
――進化である。
と述べるさまをみていると――
(きっと「進化」なんだろうな)
と思えてきます。
人形浄瑠璃に限らず――
長年、伝統芸能の世界で精進を重ねた人の所作や物言いには――
醒めた目で見させない何かが、輝きを放っています。
その「何か」が、説得力を醸しだすのです。
その「何か」というのは――
おそらく――
その伝統芸能の現代の担い手は自分であるという自負心と――
その伝統芸能を間違いなく後世へ伝えていかんとする責任感とに――
由来するのでしょう。
自負心と責任感とが混然一体となっているとき――
人は、まばゆい光を発します。
自負心だけでは、ダメ――
責任感だけでも、ダメです。