マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

こういう人柄だから、ああいう芝居に

 俳優さんは――
 人柄が芝居の質に少なからず反映されるように思います。

 ……

 ……

 ふた昔ほど前――

 芸達者と評判の俳優さんが――
“少壮の息子を殺され、嘆き悲しむ父親”の役を演じたことがありました。

 その父親の嘆き方が、なんとも軽かったのです。

 もちろん――
 芸達者と評判の俳優さんですから――
 素人目にもそれとわかるくらいに技巧的な演技だったのですが――

 でも、
(軽い)
 のです。

 殺された息子の名を口にして泣き崩れる様子からは――
 単純な現状否認の情念――息子が殺された事実を受け入れがたく思う感情――しか感じられませんでした。

 息子が幼な子なら、
(まあ、そういうこともあるか)
 と思ったのですが――

 成人して久しい息子で、しかも、すでに子も成しているような息子でしたから――

(なんか違う)
 と思ったのです。

(同じ“泣き崩れる”でも、もう少し複雑な芝居がみたかった)
 と――

 ……

 ……

 ただ――
 演出の指示で、やむなく単純な芝居に徹しただけかもしれず――

 よって――
 その時は、
(なんとも残念だ)
 で済ませたのですが――

 ……

 ……

 それから20年近くが経って――

 ……

 ……

 その俳優さんがスキャンダルを糾弾され――
 芸能記者らの前で釈明会見を開くことがありました。

 その会見で発せられた言葉の数々が――
 いかにも、
(軽い)
 のですね。

 ただ、ファンや関係者に向かって、通り一遍に詫びつづけるだけで――
 目の前の芸能記者らが繰り出す質問に、ほとんど何も答えない――答えられない――

 言葉の軽さだけが目立つ会見でした。

(こういう人柄だから、ああいう芝居になったのか)
 と思いました。