マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

道徳に正解はないか

 ――道徳には正解がない。

 と、よくいわれますが――

 この言葉――
 誤解をしてはいけません。

 ――正解がない

 というのは――
 あくまで、

 ――万人にとっての正解がない

 あるいは、

 ――児童や生徒に押し付けてよい正解がない

 という意味であって、

 ――自分なりの正解もない

 という意味ではありません。

 道徳をしっかりと弁えた人物は――
 誰かの道徳的規範をそのままそっくり受け継いでいるのでは決してなく――

 自分なりの道徳的規範を確立させて――
 それにそって自律的に発言したり、行動したりするように努めています。

 その“自分なりの道徳的規範”が、たまたま世間で幅広く支持を集める場合に限って、

 ――あの人は道徳をしっかりと弁えている。

 と称讃されるのですね。

 ……

 ……

 いわゆる道徳教育で、児童や生徒に求められることは――
 自分なりの正解を探し求めることであり――
 そのための意欲を醸成し、手法を獲得することです。

 児童や生徒の数だけ正解が存在しうるという意味で――
 道徳教育は、国語や数学や英語の教育よりも、格段に難しいといえましょう。