マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本の歴史が僕は好きで

 日本の歴史が僕は好きで――
 いろいろな本を読み、さまざまな話をきいて――
 史上有名な出来事や人物の多くをそれなりに知っているつもりなのですが――

 それでも――
 ふとしたことで、まったく知らない出来事や知らない人物にいきあたることが珍しくありません。

 例えば――
 明治中期に起こった秩父事件は――
 いわゆる自由民権運動の武力蜂起事例としてTVドラマの題材になるなど、わりと有名な出来事とみなされていますが――
 僕は、つい先日まで、この事件の概要をほとんど知りませんでした。

 また――
 この事件で反権力側に立って武力蜂起を主導した人物たちのプロフィールについては、何ひとつ知りませんでした。

 これら出来事の概要や人物たちのプロフィールを多少なりとも把握したあとで、
(そういえば……)
 と――
 中学生や高校生の頃、社会科の受験勉強で「秩父事件」の名前だけは覚えた記憶があることに思いが至りました。

秩父事件は明治時代の自由民権運動の過激なやつ――)
 と覚えたような気がします。

 この秩父事件では――
 最期まで反権力側に与したとされている下級武士の存在があります。

 平沼銑次(せんじ)という会津出身の下級武士です。

「与したとされている」というのは――
 実際には与していないことが確実だからでして――

 実は――
 平沼は架空の人物なのです。

 今から37年ほど前に制作されたTVドラマの主人公の1人なのですね。

 この平沼を演じられたのは――
 俳優の故・菅原文太さんでした。

 いうまでもなく、昭和の映画スターとして大変に著名な方で――
 無道の抗争に巻き込まれる任侠役やコミカルな長距離トラック運転手役で一世を風靡されました。

 それら役柄から何となく連想されるように――
 素の菅原さんは、反骨精神に富み、反権力志向の強い方でいらしたそうです。

 3年前にお亡くなりになる直前まで――
 政治的ないし社会的に強いメッセージを世に繰り返し問われていました。

 まさに、秩父事件の平沼役を地で行くようなお人柄であったといえます。

 そんな菅原さんが――
 反骨や反権力とは真逆の役を演じられたことがあります。

 鎌倉幕府の祖・源頼朝の役です。

 秩父事件の平沼役から6年後のことでした。

 当時、僕は中学生で――
 菅原さんのことは何も知りませんでした。

 が――
 僕の両親は、当然、映画スターとしての菅原さんを知っており、
「なんで菅原文太源頼朝なの?」
 と目を丸くしておりました。

 たしかに、その通りで――

 任侠役やトラック運転手役、あるいは下級武士役からは――
 ちょっと連想しにくい配役ですよね。

 では――
 ミス・キャストであったかというと――
 とんでもなくて――

 菅原さんの演じられた源頼朝は、すこぶるリアリティがあったのです。

鎌倉幕府を開いた人って、こういう人だったんだね)
 という説得力が、菅原さんの演技には滲み出ていました。

 その後、さまざまな俳優さんたちによって源頼朝が演じられるのをみてきましたが――
 菅原さんほどのリアリティは感じられませんでした。

(これは、なぜなんだろう?)
 と、自分なりに考えてきたのですが――

 つい先日まで――
 答えは見いだせませんでした。

 菅原さんが秩父事件の平沼役を演じられていたと知るまでは――

 ……

 ……

 この続きは――
 ちょっと長くなりそうですね。

 また、あすに――