マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

正論には痛みが伴う

 いわゆる正論を――
 あえて世間の批判を恐れずに――
 あるいは――
 あえて世間の本音におもねって――
 社会に広く訴えるのであれば――

 そして――
 その正論が、少なくとも理想的には、誰もが異を唱え難いような――
 無垢で純朴な正論であるならば――

 それを述べることには、必ず何らかの痛みが伴うことを――
 人は、ぜひ知っておかねばなりません。

 そして――
 その痛みから決して逃げることがないように――
 努めるのがよいでしょう。

 その「痛み」とは――
 例えば、

 ――あなたの正論は、実践に移せば、最終的には誰かを傷つける。

 といった指摘や、

 ――あなたの正論は、現実的には、かえって巨悪を利しかねない。

 といった懸念に――
 正面から向き合う痛みのことです。

 あるいは、

 ――たとえ誰かが傷つくとしても、私の正論は実践されなければならない。

 といった無慈悲な主張や、

 ――私の正論が巨悪を利するかもしれぬ危険性には、目をつむるしかない。

 といった無節操な主張を付与する痛みです。

 こうした痛みから逃げて――
 ただ机上で正論を振りかざしているだけでは――

 少なくとも心ある人には――
 誰からも相手にされないでしょう。