いわゆる正論を――
あえて世間の批判を恐れずに――
あるいは――
あえて世間の本音におもねって――
社会に広く訴えるのであれば――
そして――
その正論が、少なくとも理想的には、誰もが異を唱え難いような――
無垢で純朴な正論であるならば――
それを述べることには、必ず何らかの痛みが伴うことを――
人は、ぜひ知っておかねばなりません。
そして――
その痛みから決して逃げることがないように――
努めるのがよいでしょう。
その「痛み」とは――
例えば、
――あなたの正論は、実践に移せば、最終的には誰かを傷つける。
といった指摘や、
――あなたの正論は、現実的には、かえって巨悪を利しかねない。
といった懸念に――
正面から向き合う痛みのことです。
あるいは、
――たとえ誰かが傷つくとしても、私の正論は実践されなければならない。
といった無慈悲な主張や、
――私の正論が巨悪を利するかもしれぬ危険性には、目をつむるしかない。
といった無節操な主張を付与する痛みです。
こうした痛みから逃げて――
ただ机上で正論を振りかざしているだけでは――
少なくとも心ある人には――
誰からも相手にされないでしょう。