――人工知能に自我は芽生えるか。
というのは――
文芸的には大変に魅力的な問いですが――
科学的には、
――意味のない問い
だといいます。
理由は、
――自我の存在を科学的に証明する方法が思いつかないから――
です。
仮に、人工知能に自我が芽生えたとしても――
その自我の存在を科学的に証明することが原理的に困難なのですね。
人は――
自分に自我があり、他者にも自我があると信じています。
が――
それら自我の存在を科学的に証明する方法は、今のところ、見当たらないのです。
――人で証明できないのだから、人工知能で証明できるわけがない――
そして、
――存在を証明できないのに、芽生えるか否かを論じても、意味はない。
というわけです。
その通りと思います。
そもそも――
発するべき問いを間違えているようです。
本当は、
――人工知能が人の手に負えなくなることはあるか。
と問うのがよいのです。
実は、「人工知能に自我は芽生えるか」と真剣に問うている人の多くは――
人工知能が人の手に負えなくなり、やがて人類に害を成すようになるのではないか、という懸念に苛まれているからです。
僕自身も――
そうです。
そのような懸念は――
人工知能の専門家にいわせると、
――まったくの杞憂
なのだそうですが――
僕ら専門家でない者からすると――
なぜ「まったくの杞憂」といえるのかが十分に実感できないために――
色々と想像をたくましくしてしまうのでしょうね。
ところで――
……
……
――人工知能が人の手に負えなくなることはあるか。
との問いに――
知的誠実さをもって答えている専門家は、いるのでしょうか。
ちょっと気になるところです。