マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「見えなさそうで見える」の真意

 ――見えなさそうで見える。
 
 という概念について――
 おとといの『道草日記』で触れましたが――
 
 この「見えなさそうで見える」という言葉――
 やや噛み砕いて説明すれば、
 
 ――見えそうでないのに、見えてしまっている。
 
 となります。
 
 もう少し噛み砕くと、
 
 ――本来なら見えるはずがないのに、なぜか見えてしまっている。
 
 ということです。
 
 そういうものを見てしまったとき――
 状況を正しく理解できない人は――
 単に、
 
 ――え?
 
 と驚くか、
 
 ――ラッキー!
 
 と喜ぶだけですが――
 状況を正しく理解できる人は――
 なんともいえない複雑な気持ちになります。
 
 ――これ、ホントに見ていいのかな……?
 
 という戸惑いや、
 
 ――別に特に見たいとは思ってなかったぞ。
 
 という憮然の気持ちです。
 
 ……
 
 ……
 
 一言でいうなら、
 
 ――冷静な興ざめ
 
 ですね。
 
 興ざめしている自分に気づき――
 かつ、その気持ちを隠そうとする意図――
 それが、「冷静な興ざめ」です。
 
 けっこうエネルギーを使います。