マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

堯瞬の治にみる“鈍感さ”(1)

 ――鈍感の美徳

 という概念を――
 きのうの『道草日記』でお示ししました。

 この美徳は、きわめて東洋的――もっといえば、古代中国的――であろうと思います。

 どういうことか――

 ……

 ……

 古代中国における理想的な専制政治を、

 ――堯(ぎょう)舜(しゅん)の治

 と呼びますね。

 堯も舜も――
 ともに古代中国を総べたと伝えられる帝です。

 あくまでも伝説上の帝であり――
 その史実性は強く疑われますが――

 いずれも名君と評され――
 その総べ方が後世の手本とされてきたことは、史実です。

 特筆すべきは――
 堯や舜の“鈍感さ”です。

 まずは堯について述べましょう。

 ……

 ……

 堯は、自分の政治が本当に巧くいっているのか、ずっと疑っていました。

 あるとき――
 臣や民に確認をするのですが――
 皆、

 ――わかりません。

 と答えます。

 そこで――
 堯は、お忍びで街中に出て、自ら確認を試みます。

 堯は、まず童謡を耳にしました。
 それは、堯の人徳を讃えていました。

 ――民が暮らせるのは、あなたの人徳が極まっているからにほからない。

 と――

 その後で――
 堯は、不遜な老人の歌を聴きます。

 ――帝の力が私に及ぶことなど、ありえようか。

 老人は、食べ物をほお張り、腹鼓を打ち、地面を踏み鳴らしていました。

 この老人の様子を見、歌を聴き――
 堯は、自分の政治が巧くいっていることを確信したと、伝えられています。

 古代中国において――
 政治の要諦は、民を心安らかに暮らさせることでした。

 そのためには、飯をたらふく食わせる必要があります。

 その老人は、いかにも飯をたらふく食っている様子です。

 そして――
 帝の権力を恐れず、自由に物をいっていた――いかにも心安らかに暮らしている様子です。

 よって――
 堯は、自分の政治が巧くいっていることを確信したわけですね。

 以上は――
 いわゆる、

 ――鼓腹撃壌

 の逸話として有名ですので――
 ご存じの方も多いでしょう。 

 「鼓腹」は“腹鼓を打つさま”を表し、「撃壌」は“地面を踏み鳴らすさま”を表します。

 そんな堯は――
 かなり、

 ――鈍感な人

 であった、と――
 僕は思います。

 もし――
 堯が、もっと敏感な人であったなら――
 臣や民に、

 ――私の政治は巧くいっているか。

 と問い質して、

 ――わかりません。

 との返答を引き出した時点で――
 すべてを悟るはずです。

 すなわち、

 ――巧くいっています。

 との返答であれば――
 その臣や民は、帝の不興を恐れて世辞をいうくらいに、心安らかに暮らせていない可能性が残ります。

 一方、

 ――巧くいっていません。

 との返答であれば――
 その民や臣は、帝の不興を覚悟して諌めるくらいに、民の暮らしが行きづまっていることになります。

 ――わかりません。

 という返答は――
 そのどちらでもありません。

 よって――
 その返答が得られた時点で――
 堯は、お忍びで街中に出る必要など、なくなっていたのです。

 が――

 それでも――
 あえて街中に出て、鼓腹撃壌の老人と出会うまで、路地をさまよったのですね。

 このことは――
 堯の“鈍感さ”を雄弁に物語っています。