――国家の安全保障
も――
結局は、
――感情の安全保障
である――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
「国家の安全保障」といわれると――
何か外向きの営み――例えば、外国の政府と積極的に交渉を重ねるとか、有為な人材を外国へ積極的に派遣するとかいった営み――が連想されやすいのですが――
それらは――
あくまでも表面上のことです。
深層的には――
どちらかというと内向きの営み――例えば、「世論」に表れる国民の総意的な感情が、外国によって不当に操作されるのを防ぐ営み――なのですね。
外国のことばかりをみていたのでは――
国家の安全保障を見誤ります。
……
……
昭和前期――
この国の政権の中枢にいた人たちは、
(外国のことばかりをみていて、うっかり国家の安全保障を見誤ったのではいか)
と――
僕は疑っています。
当時の政府や軍部が太平洋戦争(大東亜戦争)に突き進んでいったのは――
「世論」に表れる国民の総意的な感情が後押しをしたからです。
そうした国民の感情は、外国の政府によって不当に操作された結果である、とまでは――
さすがの僕も主張できません。
が――
……
……
仮に――
そうであったとしても――
僕は驚かないでしょう。