マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

感情の安全保障(3)

 ――国家の安全保障

 も――
 結局は、

 ――感情の安全保障

 である――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 「国家の安全保障」といわれると――
 何か外向きの営み――例えば、外国の政府と積極的に交渉を重ねるとか、有為な人材を外国へ積極的に派遣するとかいった営み――が連想されやすいのですが――

 それらは――
 あくまでも表面上のことです。

 深層的には――
 どちらかというと内向きの営み――例えば、「世論」に表れる国民の総意的な感情が、外国によって不当に操作されるのを防ぐ営み――なのですね。

 外国のことばかりをみていたのでは――
 国家の安全保障を見誤ります。

 ……

 ……

 昭和前期――
 この国の政権の中枢にいた人たちは、
(外国のことばかりをみていて、うっかり国家の安全保障を見誤ったのではいか)
 と――
 僕は疑っています。

 当時の政府や軍部が太平洋戦争(大東亜戦争)に突き進んでいったのは――
 「世論」に表れる国民の総意的な感情が後押しをしたからです。

 そうした国民の感情は、外国の政府によって不当に操作された結果である、とまでは――
 さすがの僕も主張できません。

 が――

 ……

 ……

 仮に――
 そうであったとしても――

 僕は驚かないでしょう。