マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

感情の安全保障(2)

 ――感情の安全保障

 とは――
 自分の感情が誰からも操作されないように気を配ることだ、と――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 「感情の安全保障」などという大仰な物言いを考えたのは――

 日頃、
(自分の感情が操作されないように気を配っている人は、世の中、意外と少ないようだ)
 と思っているからです。

 とりわけ、人から対人トラブルの愚痴を聞くときに――
 よく実感します。

(あ。この人は、感情を操作されてしまったんだな)
 と感じることが――
 よくあるのです。

 もちろん――
 愚痴のすべては“後の祭り”ですから、

 ――次からは気をつけましょうね。

 というほかはないのですが――

 同じような“後の祭り”を何度も繰り返している人をみると――

(あ。感情の安全保障に、まったく無頓着なんだな)
 と感じます。

 そういう人が――
 国家の安全保障については、やたらと口うるさかったりすると――
 思わず苦笑いするしかありません。

(天下国家も大事だけれど、まずは、あなた自身の心を守りましょうよ)
 と、いいたくなるのですね。

 ところで――

 ……

 ……

 以前から、

 ――国家の安全保障も、最終的には国民の感情の問題である。

 との主張があるそうです。

 その主張を目にしたときに、
(それは、そうに違いない)
 と――
 即座に納得しました。

 安全保障の根幹は――
 個人レベルであっても国家レベルであっても――
 行きつくところは、

 ――感情

 なのですね。