マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

元寇を日本が撃退できた理由

 ――日本は、勝ち負けが生き死にに直結する国である。

 というようなことを――
 きのうの『道草日記』で述べましたが――

 そのことが――
 日本の歴史の中で顕然と表れたのが、

 ――元寇

 であった、と――
 僕は考えています。

 13世紀――
 ユーラシア大陸に強大な版図を築いたモンゴルの帝国・元が――
 当時の朝鮮や中国を従え――
 日本へ侵略を企てました。

 日本は鎌倉中期――
 北条氏が権勢を振るっていた時代です。

 この侵略を――
 日本は、いわゆる神風の恩恵を受けて撃退したと伝えられていますが――

 最新の歴史研究の知見では――
 当時の日本の武士団が、モンゴルの予想を超えて固く団結し、激しく抵抗したことが要因とみなされています。

 日本の武士団は、なぜ、そこまで団結し、抵抗しえたのか――

 ……

 ……

 それは、

 ――彼らにとって、勝ち負けは生き死にに直結していたからだ。

 と――
 僕は思うのです。

 モンゴルの帝国は――
 当初――
 日本に対し、たんに勝負事を挑んだだけでした。

 真意はともかく――
 少なくとも表面上は――
 そのように装っていたのですね。

 具体的には――
 いきなり侵略の兵を差し向けるのではなく――
 外交交渉から入っているのです。

 ところが――
 日本の武士団は、

 ――たんに勝負事を挑まれているだけ――

 とは受けとりませんでした。

 いきなり、

 ――生きるか死ぬかを迫られている。

 と受けとったのです。

 もちろん――
 モンゴルの帝国は、ユーラシア大陸の各所で、刃向った者たちは徹底的に殺戮する戦略をとっていて――
 そのことは日本にも伝わっていたでしょうが――

 そういう情報が入る前から――
 日本の武士団には――
 例えば、

 ――ここは一つ負けておいて、しっかり生き延びておくことにしよう。

 というような――
 勝ち負けと生き死にとを分離した発想の皆無であったと想像します。

 ――負けるということは死ぬということ

 という劇的な発想が――
 日本の武士団の多数派を束ねていた――
 ということです。

 こうした発想は――
 モンゴルの帝国が、それ以前に支配下に組み込んだ朝鮮や中国では――
 少なくとも主流ではなかったと考えられます。

 こうした日本の特殊性を――
 モンゴルの帝国の幹部らが見逃したことで――
 元寇は起こり――

 少なくとも彼らにとっては思いがけない顛末で、敗れるに至った、と――
 僕は考えています。