色気と猥褻との違いは、
猥褻 = 色気 × 背徳(生殖欲求)
の数式に集約される――
というようなことを――
きのうの『道草日記』で述べました。
数式で記したのは、そのほうが端的に記せるからで――
他意はありません。
もし――
これを文章で記すなら、
――猥褻は、色気の感覚と背徳の感覚との相乗効果で強まる感覚であるが、それら両方の感覚が共存しない限り、生起しえない感覚でもある。
となります。
色気だけでもダメ、背徳だけでもダメ――
ということですね。
……
……
なお――
ここでいう「背徳」とは――
あくまで、
――生殖欲求に関わる道徳に背いている感覚
であり――
決して、
――道徳全般に背いている感覚
ではありません。
つまり――
猥褻を察知するには、生殖欲求に関する道徳にのみ背いている感覚があれば十分であって――
他の欲求に関する道徳については、背いていなくてもよい――例えば、道徳に完全に従っていてもよい――
ということです。
道徳が欲求の関数であるとみなせることや、その意義については――
5日前の『道草日記』でお示しした通りです。
……
……
ところで――
――生殖欲求に関わる道徳に背いている感覚
とは――
具体的に、どういう感覚でしょうか。
……
……
まず――
生殖欲求に関する道徳が以下の通りに図式化されるのは――
4日前の『道草日記』でお示しした通りです。
生殖欲求
↓↑ ←道徳(生殖欲求)
恋愛欲求
生殖欲求は“生物的ないし生理的な欲求”で――
恋愛欲求は“社会的ないし心理的な欲求”です。
人が、自らの体に生起する生殖欲求を支持するために――
二次的に生起するのが恋愛欲求です。
その支持の仕方を制御するのが道徳――生殖欲求に関する道徳――です。
例えば――
自らの生殖欲求に振りまわされたりせずに、良好な恋愛関係を築き、保つことで――
自らの生殖欲求を少しでも健全な手法で充足させようとする意志――
を想定したときに――
その意志の規範となるのが――
この、
――生殖欲求に関わる道徳
です。
これに少しでも合致していない感覚があれば――
それは、
――生殖欲求に関わる道徳に背いている感覚
といえます。
もちろん――
その背き方は様々です。
――学校の体育の水泳で、つい気になる異性の体をみてしまう。
といった程度から、
――戦場の村や街で、異性の住民を手当たりしだいに捕獲する。
といった程度まで――
実に様々です。