人間を心と体との2つに分ける話で――
必ず思い浮かぶのが、
――健全な精神は健全な肉体に宿る。
の慣用句です。
僕が子どもであった1980年代は――
学校の偉い先生などが、運動会の挨拶などで、引用していました。
今日では――
この慣用句は誤用であることが広く知られています。
本来は――
自身の作中で、
――健全な精神が健全な肉体に宿ればなぁ。
と嘆いたことが始まりでした。
つまり、
――健全な肉体に健全な精神が宿ることは期待しにくい。
というのが――
当初の趣旨であったのです。
正反対の意味であったのですね。
それが――
いつの間にか、
――肉体を鍛えれば、精神も鍛えられるに違いない。
との考え方に組み込まれ――
一説には――
この国では、明治以降、いわゆる富国強兵の掛け声のもとに――
しだいに誤用だけが広まっていったようです。
……
……
きのうの『道草日記』で――
物と事との枠組みでみたときに――
人間を心と体とに分ける仕方は、心を不当に重視しているようにみえる――
と述べました。
心は、“人間に関わる事”のごく一部分であり――
“人間に関わる物”の全部と“人間に関わる事”の大部分とが、体であるからだ――
というのが――
その理由です。
この考え方によれば――
たしかに、健やかな体には健やかな心が宿りそうなものです。
何しろ――
心と体とでは――
体の占める割合が圧倒的に巨大であり、心の占める割合は極めて些少である――
というのですから――
体が健やかなら――
それにつられて、心も健やかになりそうなものでしょう。
……
……
1980年代に――
学校の運動会の挨拶で、
――「健全な精神は健全な肉体に宿る」といいます。皆さんも、ぜひ、これを機に……。
などと声高に述べていた人たちの不明は――
つい糾弾したくなりますが――
その背景まで――
しっかりと吟味し始めたなら――
(そう簡単ではない)
と思うのです。