マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を2つに分ける(10)

 人間を心と体との2つに分けることは――
 古今東西を問わず、常になされてきたことですが――

 その際に、

 ――心

 や、

 ――体

 の定義が微妙に変遷していることには――
 注意が必要でしょう。

 以下――
 日本語に限って述べますと――

 ――心

 とは――
 当初は、

 ――情

 のことであったようです。

 今日――
 心は、

 ――情と理

 に分けられるのが一般的ですが――
 昔は、「理」――つまり、「思考」や「創造」、「論理」といった働き――は、心に含まれていなく――
 もっぱら、「情」――つまり、「欲望」や「感性」、「感情」といった働き――が、心に含まれていたのです。

 一方――

 ――体

 とは――
 当初は、

 ――殻

 のことであったようです。

 「抜け殻(がら)」の「殻」――
 さらにいえば、「亡骸(なきがら)」の「骸」こそが、「体」であったのですね。

 昔は、命の宿っていない体だけが「体」であり、命の宿っている体は、

 ――身

 と呼んで区別をしていたといいます。

 つまり――
 今日でいうところの「人間」――つまり、心と体とが合わさったもの――は、

 ――身

 であったのですね。

 この「身」は――
 今の日本語にも通じます。

 ――人の身になってみろ。

 とか、

 ――我が身に迫る。

 とかいうときの「身」は――
 たしかに、「人間」とほぼ同義であって、「体」とは若干ずれています。

 ……

 ……

 以上をまとめると――
 次のようになります。

 すなわち――
 日本語では、

  人間 = 身
      = 心 + 体
      = 情 + 理 + 命 + 骸

 であり――
 今は、

  心 = 情 + 理

  体 = 命 + 骸

 であるが――
 昔は、

  心 = 情

  体 = 理 + 命 + 骸

 であった、と――

 ……

 ……

 昔の日本人が――
 心をあまり重視していなかったらしい理由は――

 この辺りにも求められそうです。