マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(2)

 日本史のファンが、


 という固有名詞を耳にして――
 真っ先に思い浮かべるのは、

 ――承久の乱

 でしょう。


 を真っ先に思い浮かべる人もあるかもしれませんが――
 そういう人は、よほど文化史に精通している人か、学校の日本史を頑張って勉強した人――あるいは、いま勉強している最中の人――に違いありません。

 実は――
 この『新古今和歌集』こそ――
 後鳥羽上皇の為人(ひととなり)に触れ、その足跡を辿る手がかりなのですが――

 まずは――
 承久の乱のことから述べていきましょう。

 ……

 ……

 承久の乱については――
 2017年11月10日の『道草日記』で触れています。

 鎌倉初期に、後鳥羽上皇鎌倉幕府の執権・北条義時を排除しようとして、逆に排除された――という政変です。

 いま、

 ――政変

 と述べましたけれども――
 たしかに――
 承久の乱は、その政変的な性格が重視されて――
 昭和前期までは「承久の変」と呼ばれることが多かったそうです。

 が――
 承久の乱で実際に起こったことは――
 日本史上もっとも有名な関ヶ原の戦いと同じ大戦(おおいくさ)――東西を二分する大戦――でした。

 この大戦で――
 後鳥羽上皇は、西軍の総司令官の役を務めました――いいえ、正確には「務めるはずであった」です。

 「務めるはずであった」とは――
 どういうことか――

 ……

 ……

 承久の乱には――
 関ヶ原の戦いのような構図のわかりやすさが、ありません。

 しばしば、

 ――後鳥羽上皇北条義時に戦いを挑んで負けた。

 と語られます。

 決して――
 その逆で語られることはないのですね。

 つまり、

 ――北条義時後鳥羽上皇に戦いを挑んで勝った。

 と語られることが――
 まず、ない――

 ……

 ……

 関ヶ原の戦いの主人公は、2人といってよいでしょう。
 徳川家康石田三成との2人です。

 が――
 承久の乱の主人公は、後鳥羽上皇北条義時との2人ではなく――
 後鳥羽上皇ただ1人なのです。

 あえて酷な言い方をしますと――
 承久の乱の本態は、

 ――後鳥羽上皇の一人相撲であった。

 となります。

 「一人相撲」なので、

 ――総司令官の役を務めた。

 とは――
 ちょっと、いい難いのです。