ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
その「一人相撲」の根拠は――
後鳥羽上皇が、
――北条義時、追討――
を決断するに至る過程に求められます。
承久の乱は――
かの有名な関ヶ原の戦いと同様――
この国を東西に二分する大戦(おおいくさ)であることは――
きのうの『道草日記』で述べた通りですが――
このことは――
西日本の民意――京に住む皇族や公家たち、あるいは西日本に拠点をもつ武家たちの総意――が、
――北条義時、追討――
で、まとまっていたことを意味するのでは決してありません。
北条義時の排除を真剣に望んだのは――
後鳥羽上皇その人と、その取り巻きの一部に限られていました。
京の皇族・公家や西日本の武家の大半は――
北条義時を本気で排除しようとは思っていなかった節があります。
という理由で――
何となく「北条義時を排除しよう」という気になっただけに過ぎなかったようなのです。
それほどまでに――
後鳥羽上皇は、まぎれもなくカリスマでした。
裏を返すと――
そこまで権威が高くなければ――
もちろん――
承久の乱が起こって――
東西を二分する大戦を起こし――
少しも思っていなかったようなのです。
当時の鎌倉幕府の支配圏は――
少なくとも実質的には――
東日本にしか及んでいませんでした。
そのことを歯がゆく思うような風潮も――
当時の鎌倉幕府にはなかったようです。
――東国(東日本)の者たちが互いに争うことなく暮らしていければ、それでいい。
それが――
当時の鎌倉幕府の基本姿勢でした。
そうした相手方の基本姿勢を知ってか知らずか――
後鳥羽上皇は――
取り巻きの一部の支持を得ただけで、ほぼ独断専横的に、
――北条義時、追討――
の命を出します。
そして――
鎌倉幕府を相手に大戦を仕かけるのですが――
――治天の君は、そこまで我らを目の仇にされていたのか……!
後鳥羽上皇の並々ならぬ殺意を感じとって、むしろ一致団結をし――
京の皇族・公家たちや西日本の武家たちに断固たる戦いを挑むのです。
同時代のカリスマに殺意をもたれたことが――
かえって闘志に火をつける形となりました。
以上のような背景があったために、
といえるのです。