マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(4)

 承久の乱が起こるまでの後鳥羽上皇には、

 ――排除せよ!

 と、当人がいった途端に――
 たとえ、その対象が北条義時のような有力な武家であっても――
 多くの人たちが、何となく、

 ――本当に排除しなければいけないんだろうな。

 と思ってしまうくらいの権威があった――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 それほどの権威が――

 なぜ――
 後鳥羽上皇には、あったのでしょうか。

 ……

 ……

 一つは――
 知的能力の高さです。

 ――有職故実

 という言葉があります。

 主に朝廷で行われる行事や、それに関する慣例などを、先例に基づいて研究し、実践することを意味する言葉です。

 この有職故実に――
 後鳥羽上皇は長けていたといわれています。

 有職故実は――
 学術的な色彩の濃い営みといえます。

 膨大な知識を整理し、体系的に把握しておくだけでなく――
 文献の中に根拠を示し、論理的な主張を展開する能力が問われます。

 こうした能力で他に並ぶ者はいなかった、というくらいに――
 後鳥羽上皇は知的能力の高さを誇りました。

 今日でいうところの学者や法律家のような才知が――
 後鳥羽上皇にはありました。

 その一方――
 和歌の達人としても知られていました。

 百人一首で有名な藤原定家を子にもつ藤原俊成に師事をして――
 藤原定家の歌風からも影響を受けつつ――
 歌作の腕を瞬く間に上げていったといわれています。

 その結果――
 今日――
 後鳥羽上皇は、中世屈指の歌人と評価されるに至っています。

 感受性に優れ、語彙が豊富で――
 多少なりとも機知に富んだところがなければ――
 優れた歌人とはみなされません。

 今日でいうところの詩人や作詞者のような才知が――
 後鳥羽上皇にはありました。

 こうした知的能力とも関係はあるのでしょうが――

 後鳥羽上皇には――
 一定の政治手腕もありました。

 「荘園」という名の私有地の寄付を巧みに募って――
 自分の経済的基盤を安定させたり――

 「西面の武士」という名の直轄軍を創設、編成して――
 自分の軍事的基盤を充実させたりしました。

 当時の皇族が疎くなりがちであった経済面や軍事面においても一定の成果を上げ――
 政治家としての存在感を高めていたのです。

 さらに――
 特筆すべきは――

 身体能力の高さです。

 後鳥羽上皇は――
 狩猟を嗜み、蹴鞠を好んだといわれています。

 当時の狩猟は――
 武術鍛錬の側面がありました。

 狩猟を嗜んだということは――
 自ら武装して原野に躍り出ることを厭わなかったということです。

 一方――
 蹴鞠は、当時も今も――
 鞠を蹴るスポーツといってよいでしょう。

 蹴鞠を好んだということは――
 サッカーのリフティングのような足技を体得していたということです。

 いずれも相当に高い身体能力がなければ――
 嗜むことも好むことも、なかったはずです。

 加えて――

 後鳥羽上皇には――
 次のような逸話が残されています。

 京の周辺を荒らしまわっていた盗賊たちがいた――

 その首領を懲らしめるため――
 盗賊たちの住みかへ船で出かけていき――

 盗賊たちのみている前で――
 これみよがしに船の櫂(かい)を持ち上げてみせた――

 船の櫂は、いかにも重そうであったので――
 その様子をみた盗賊の首領は度肝を抜かし、

 ――これからは、あなた様にお仕え申し上げます。

 と観念した――
 そういう逸話です。

 もちろん――
 ことの真偽はわかりませんが――

 少なくとも――
 このような逸話が不自然に感じられないくらいに――
 後鳥羽上皇には強い腕力があったのでしょう。

 かなり頑強な体の持ち主であったと考えられます。

 ……

 ……

 この国では――
 よく、

 ――文武両道

 という言葉が使われます。

 知的能力と身体能力と――
 どちらも優れている人物こそが一流である――
 との考え方を示した言葉です。

 後鳥羽上皇は――
 まさに、

 ――文武両道

 を地で行く人物でした。

 そのことが――
 後鳥羽上皇の権威を、

 ――カリスマ

 の域にまで高めたと考えられます。