マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(5)

 後鳥羽上皇に非常に高い権威があったのは――

 ――文武両道

 を地で行くような人物であったからである――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 が――

 それだけが――
 理由なのではありません。

 後鳥羽上皇の権威の高さは――
 後鳥羽上皇の個人的な資質とは関係のないところでも裏打ちをされていました。

 何が裏打ちをしていたのか――

 ……

 ……

 それは――

 皇族の非代替性です。

 ……

 ……

 後鳥羽上皇が高い権威を築き上げたのは――
 天皇としてではなく――
 また、上皇としてでも――つまり、単なる天皇経験者としてでも――ありませんでした。

 皇族の長――つまり、天皇家の当主――として――
 非常に高い権威を築き上げていたのです。

 いわゆる、

 ――治天の君

 です。

 天皇家の当主が誰なのかは――
 次の天皇を誰が決めるのかに端的に表れていました。

 よって――
 後鳥羽上皇は――
 自分が天皇であることをやめ、その地位を息子に譲った頃から――
 名実ともに天皇家の当主になったといえます。

 この天皇家の権威が――
 この国では、常軌を逸して高いのですね。

 この国の2000年の歴史の中で――
 結局、誰一人として、天皇家にとって代わって、この国を統べることはありませんでした。

 後鳥羽上皇の時代は今から800年前ですから――
 もちろん、

 ――2000年

 というのはわかっていなかったわけですが――
 それでも、

 ――1000年以上

 ということは――
 おそらく、わかっていたはずです。

 ――この1000年以上の間、誰もとって代われなかった――あるいは、代わらなかった。

 という事実――
 これは、当時の人たちの意識にも重くのしかかっていたでしょう。

 ……

 ……

 ――1000年以上も続いてきた家系は、ただそれだけで尊いに違いない。

 という前提――

 これが――
 文武両道の治天の君――後鳥羽上皇――の権威を下支えしていたことは見逃せません。

 そのことは――
 後鳥羽上皇自身が――
 誰よりも、よくわかっていたでしょう。

 有職故実に通じ――
 政治的手腕を備えていた天皇経験者ですから――
 当然です。