マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

新元号を気持ちよく使っていくために

 ――令和

 の新元号について――

 ――「令」は元来、人が多く集まって跪(ひざまず)き、命令を待っている様子を表した象形文字であるので、「令和」は高圧的な印象を与えうる。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 つまり、

 ――たしかに「令」には「良い」とか「美しい」とかいう意味もあるが、基本的には、「命令」の「令」であり、民主主義の国家が扱う元号が含む文字としては、ふさわしくない。

 という指摘です。

 ……

 ……

 こういう指摘を繰り返し見聞きしていると――

 何だか元気がなくなってきますよね(苦笑

 ……

 ……

 ――いいたいことはわかるが、すでに政府が決めてしまったことなのだから、今後は、この新元号をなるべく気持ちよく用いていきたい。

 というのが――
 多くの日本人の本音ではないでしょうか。

 ……

 ……

 そこで――
 「令」について、さらに詳しく調べてみたのです。

 ……

 ……

 困ったときは原点に立ち返るのがよいでしょう。

 新元号「令和」の出典は何であったか――

 ……

 ……

 政府によれば――
 出典は万葉集で、

 ――初春の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ――

 の句に依っています。

 つまり、

 ――令和

 の「令」は――
 少なくとも直接的には、

 ――令月

 の「令」なのです。

 よって――
 「令和」の鍵を握っているのは、「令月」という言葉の本来の意味でしょう。

 この言葉は、

 ――何をするにも良い月、めでたい月、吉兆に富む月

 という意味です。

 つまり、「令和」の「令」は、「美しい」というよりは、「良い」という意味――「縁起が良い」という意味――が強いのですね。

 以上を踏まえて――
 もう一度、「令」の由来を調べてみますと、

 ――もともとは、冠をかぶった神官が神のお告げを待って跪いていた様子を表す象形文字であった。

 との考え方があるそうです。

 ここでいう「神」は――
 いわゆる西洋的な人格神ではなく、東洋的な超越神――例えば、天――とみなせるでしょう。

 つまり、

 ――人知を越えた偶然性や必然性の総体

 ないしは、

 ――自然界を支配している原理や法則

 です。

 よって――
 「令」の象形の中で神官が跪いていた相手は、

 ――自然

 なのです。

 「令」の神官が体現をしているのは――
 自然からの恩恵や猛威をただ黙って受けとめるしかない人の慎ましい姿――自然界で生かされている事実に敏感になって謙虚に控えている姿――です。

 こうした理解に基づくならば、

 ――令和

 という新元号は――
 次のような意味と解釈できます。

 ――人が自然の前では無力であることを忘れずに、皆で仲良く暮らしていこうではないか。

 ……

 ……

 そういう意味での、

 ――令和

 なら――

 何となく気持ちよく使っていけそうです。