マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

別次元とはいいきれない

 ――気分の沈み込み

 とか、

 ――気分の浮き上がり

 ということを――

 きのうまでの『道草日記』で触れてきました。

 ……

 ……

 ほとんどの方は――
 ご存じかと思いますが――

 「気分の沈み込み」が病的になると、

 ――鬱(うつ)

 と呼ばれます。

 同様に――
 「気分の浮き上がり」が病的になると、

 ――躁(そう)

 と呼ばれます。

 近年では――
 これら言葉が――とくに「鬱」のほうが――汎用されるようになり――
 しばしば日常的に見聞きするようになりました。

 僕は――
 実は、「鬱」とか「躁」とかいった言葉が、あまり好きではありません。

 代わりに、「気分の沈み込み」とか「気分の浮き上がり」とかいった言葉を使うようにしています。

 その沈み込みや浮き上がりが、病的なレベルであろうとなかろうと――
 できる限り、「気分の沈み込み」「気分の浮き上がり」を使うようにしています。

 なぜか――

 ……

 ……

 「鬱」とか「躁」とかいった言葉を使った瞬間――
 あたかも別次元の概念に様変わりするかのように感じられるからです。

 実際には――
 同じ次元です。

 少なくとも――
 現代医学や現代科学の知見に基づく限り――
 別次元とはいいきれません。

 病的か否かの境界を明瞭に引くことが――
 難しいからです。