マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ミャンマー国軍の本音は?

 ――ミャンマー国軍がクーデターを起こしたのは、既得権益を守るためではなく、内戦を終わらせるためではないか。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――内戦

 というのは――

 ミャンマー国内の一部で繰り広げられている武力紛争のことです。

 

 日本国内では、あまり意識をされていませんが――

 ミャンマーには、10以上の武装集団が混在をしていて、国軍と交戦状態にあるといいます。

 

 それら武装集団と和平協定を結ぶべく、国軍は政府の指導性を期待をしていたそうですが――

 事実上の政権の首班であるアウンサンスーチーさんは、十分な指導性を発揮しえず、和平協定をとりつけることもできず――

 むしろ、武装集団との戦闘が激しさを増しつつあるといいます。

 

 ――これではダメだ。

 というのが――

 ミャンマー国軍の本音であったようです。

 

 つまり、

 ――今の政権が続く限り、いつまで経っても内戦は治められない。

 と、国軍の幹部や将兵らも思うようになった――

 ということです。

 

 とくに戦場で命を張って仕事をしている将兵らにとっては、内戦の激化は看過しえない事象でしょう。

 誰もが、

 ――命あっての物種

 なのです。

 

 そうした将兵らの気持ちを汲みとって――

 国軍の幹部がクーデターを起こした――

 

 それゆえに――

 国軍の組織内部では、今回のクーデターに、思いのほか多くの支持が集まっている――

 

 そう捉えることができそうです。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 政権側にも、いい分はあったでしょう。

 

 ――内戦が激化をしたのは、必ずしも政府の無策や失策が原因なのではない。

 との見方も成り立ちます。

 

 が、

 ――この内戦を早く終わらせてくれ!

 という本音が国軍に強い結束をもたらしていると考えるならば――

 今回のクーデターの奇妙さをよく説明できます。

 

 今回のクーデターの奇妙さというのは、

 ――国内外の世論が国軍から軒並み離反をしているにも関わらず、国軍は動揺をすることなく一致団結をしているようにみえる。

 という奇妙さです。

 

 少なくとも国軍の組織内部では、

 ――軍事独裁、反対!

 や、

 ――民主政治を守れ!

 といった掛け声は、

 ――命あっての物種

 の言い草に打ち負かされているようです。

 

 それら掛け声は――

 理念としては有意義なのですが――

 本音の言い草に触れると――

 どうしても力を失います。

ミャンマー国軍は既得権益を守るためにクーデターを起こしたのか

 ミャンマーで国軍が先週に起こしたクーデターは失敗に終わる可能性が出てきたものの――

 今後、国軍の組織内部からの支持が集まり続けるかどうか――崩れ去らないかどうか――がポイントになる――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 実は――

 そもそもの疑問点として、

 ――少なくとも国軍の組織内部ではクーデターへの支持が集まっているようにみえるのだが、それは、なぜなのか。

 ということが挙げられます。

 

 2月2日の『道草日記』で述べたように、

 ――クーデターは、しょせんはズル――

 です。

 

 そんなことは――

 今回、クーデターを起こした国軍の幹部も、わかりきっているはずです。

 

 その証左として――

 国軍が声明を出して、

 ――これはクーデターではない。

 と、わざわざ主張をしているらしいことが挙げられます。

 

 識者によると――

 今回、国軍は、まず大統領を軽微の容疑で逮捕し、国軍出身の副大統領を大統領代行に据え、国家の全ての権限を国軍の総司令官に譲らせる、という手法をとったそうです。

 

 ――軽微の容疑

 の中身は、よく伝わっていません。

 

 国軍は、昨年に行われた国政選挙の不正を訴えていますから――

 その不正に関わる容疑かもしれませんし――

 まったく別の容疑かもしれません。

 

 いずれにせよ、

 ――重大な容疑

 ではなく、

 ――軽微の容疑

 と、みられています。

 

 つまり、

 ――国軍は今回あきらかにズルをした。

 と、いえそうです。

 

 もし――

 ズルをするつもりがなかったのであれば――

 国軍は、少なくとも、それをきいたら誰もが納得をするような、

 ――重大な容疑

 をでっち上げていたでしょう。

 

 それをしなかった――

 

 よって、

 ――世間一般からは「クーデター」とみられても仕方がない。

 との諦念が、国軍の組織内部には漂っていたに違いありません。

 

 それゆえに、

 ――これはクーデターではない。

 と、いわずもがなの主張をする必要があったのです。

 

 つまり――

 国軍の幹部は、外面的にはともかく、内面的には、

 ――これはクーデターである。

 と割り切っているに違いありません。

 

 そして――

 国軍の組織内部の人々も、ほぼ全員が、

 ――これはクーデターである。

 と割り切っていることでしょう。

 

 問題なのは、

 ――なぜ、そんなふうに割り切れるのか。

 です。

 

 ……

 

 ……

 

 国軍の既得権益を守るため?

 

 ……

 

 ……

 

 たしかに――

 それも、ないわけではないでしょうが――

 

 それだけでは――

 国軍のような巨大な組織は動かせません。

 

 人は、大義名分だけでは動きませんが――

 まったく大義名分がなくても、やはり動かないのです。

 

 それなりの正義――旗印――がなければ、動かない――

 

 では――

 その「正義」とは何か――

 

 それは――

 おそらく――

 

 ――内戦を終わらせるため――

 です。

 

 ……

 

 ……

 

 続きは、あす――

クーデターが失敗に終わる可能性も出てきた

 ミャンマーで国軍がクーデターが起こしてから――

 きょうで1週間です。

 

 報道によると――

 今のところ――

 国軍への支持は広がっていません。

 

 諸外国は、少なくとも表立っては、国軍の政権から距離をとっているようです。

 

 国民の反発は明らかです。

 

 首都ネピドーでは1,000人規模の抗議活動が――

 最大都市ヤンゴンでは、数万人規模の抗議活動が起こっているようです。

 

 つまり――

 国軍の政権は、国の内外で孤立をしつつあるようですね。

 

 少なくとも、多くの支持が集まっているとは到底いえない状況です。

 

 このままの情勢ですと――

 クーデターが失敗に終わる可能性も出てきました。

 

 2月2日の『道草日記』で述べたように――

 クーデターが成功をするかどうかは、中・長期的にみて、多くの支持が集まるかどうかにかかっています。

 

 日本列島において、明治維新大化の改新が成功をしたのは――

 短期的には、ともかく、中・長期的には――

 多くの支持が集まったからです。

 

 が――

 今回のミャンマーでのクーデターは、どうでしょうか。

 

 少なくとも短期的には――

 ミャンマーの国外はもちろん、国内においても、支持は全く集まっていません。

 

 が――

 中・長期的にも、多くの支持が集まりそうな兆候は感じられません。

 

 ただし――

 国軍の組織内部の支持は、今のところ、集まっているといえます。

 

 そうでなければ――

 実際に政権を奪い取るところまではいきません。

 

 クーデターを起こして政権を奪うには、国軍の幹部の数人くらいが動いたくらいでは無理です。

 数千ないし数万くらいの人々が、一糸乱れぬ統制の下に、果断に動く必要があります。

 

 そのような動きは、国軍の組織内部の末端に至るまでの盤石な支持がなければ、実行には移せないでしょう。

 

 今後のポイントは――

 国軍の組織内部の動きです。

 

 組織内部からの支持を失えば――

 国軍のクーデターは失敗に終わります。

国軍が政府を創ること自体は邪道ではないが……

 ――国軍が政府を創る場合

 のほうが、

 ――政府が国軍を創る場合

 よりも圧倒的に多い――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 国軍が政府を創る場合について――

 さらに何通りかに場合分けをすると――

 以下のようになります。

 

 1)国内外の私兵が武力で政権を奪って政府を創る

 2)国外の国軍が国内に侵略をしてきて政府を創る

 3)国内の国軍がクーデターを起こして政府を創る

 

 1)や 2)は、歴史上よくあることです。

 が、3)は、そうではありません。

 

 なぜか――

 

 3)は大きな矛盾を含むからです――「国軍が、国軍としての本来の責務を果たさないばかりか、それと真逆のことをする」という意味での矛盾です。

 

 6日前のミャンマーで起こったことは、3)でした。

 

 一方――

 18世紀のアメリカによる独立は、1)といえます。

 

 中国や北朝鮮ソビエト連邦なども、1)といえるでしょう。

 

 他方――

 太平洋戦争で苦汁を舐めた日本の明治政府は、2)によって潰えたといえます。

 

 17世紀の皇朝・清による中国大陸の統一も、2)といえます。

 

 このようにみていくと――

 6日前のミャンマーで起こったことの邪道性がみえてきます。

 

 4日前の『道草日記』で、

 ――ミャンマーにおいて、国軍が強い政治的影響力をもっていたのは、政府が国軍を創ったのではなく、国軍が政府を創ったからである。

 ということを述べました。

 

 このこと自体は、とくに邪道ではありません。

 

 ――国軍が政府を創る場合

 は、むしろ「正道」とさえいえます。

 

 6日前にミャンマーで起こったことは、 

 ――本来の責務が果たされずに、むしろ、それと真逆のことがなされた。

 という意味で、邪道なのですね。

 

 3日前の『道草日記』で、

 ――ミャンマー国軍のクーデターは「わかりにくい」――

 と述べたのも――

 つまりは、そういうことです。

国軍が政府を創る場合と政府が国軍を創る場合と

 ――国軍が政府を創る場合

 について、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もし、国軍が政府を創るのでなければ――

 政府が国軍を創ることになります。

 

 少なくとも――

 理屈の上では、そうですね。

 

 政府を創らない国軍は、私兵――単なる武装勢力――ですし――

 国軍を創らない政府は、政府として自立をすることができません。

 

 では、

 ――国軍が政府を創る場合

 と、

 ――政府が国軍を創る場合

 と――

 いったい、どちらが正道で、どちらが邪道でしょうか。

 

 あるいは――

 どちらも正道といって、よいのでしょうか。

 

 字面だけをみていると、

 ――政府が国軍を創る場合

 が正道で、

 ――国軍が政府を創る場合

 が邪道のようにも感じられますが――

 

 はたして――

 

 ……

 

 ……

 

 ――政府が国軍を創る場合

 の具体例として真っ先に挙げられるのは――

 明治政府です。

 

 いわゆる、

 ――王政復古の大号令

 が発せられた頃――

 明治政府の首脳部は、自前の武力を持っていないに等しい状態でした。

 

 薩摩や長州といった反徳川幕府の姿勢を鮮明にしていた雄藩の武力を借りていたのです。

 

 その後――

 徴兵制度を敷き、その制度を何度か改めていく中で――

 明治政府は、徐々に自前の武力を調えていきました。

 

 他方――

 

 大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の政権も――

 おそらくは同じです。

 

 いわゆる、

 ――乙巳(いっし)の変

 を起こす前に――

 中大兄皇子や、その側近たちが、自前の武力を十分に持っていたとは、ちょっと考えにくいのですね。

 

 もし、十分に持っていれば――

 そもそも、蘇我(そが)氏の専横を許すことはなかったはずです。

 

 乙巳の変蘇我氏の当主であった蘇我入鹿(そがのいるか)を殺した後、政権を握り、いわゆる大化の改新を進めていく中で――

 中国大陸の皇朝・唐の制度を参考にするなどして――

 少しずつ自前の武力を調えていったと考えられます。

 

 つまり――

 明治政府も中大兄皇子の政権も、

 ――政府が国軍を創る場合

 に相当をするのです。

 

 このように考えていくと――

 

 政権の樹立に際しては――

 少なくとも、2つの場合があるといいたくなります。

 

 つまり、

 ――国軍が政府を創る場合

 と、

 ――政府が国軍を創る場合

 との2通りです。

 

 が――

 実際には、

 ――国軍が政府を創る場合が圧倒的に多く、政府が国軍を創る場合は極めて少ない。

 といえます。

 

 明治政府や中大兄皇子の政権は――

 日本史上、きわめて有名な事例ですから――

 

 日本史の枠内でみると――

 ――国軍が政府を創る場合

 だけでなく、

 ――政府が国軍を創る場合

 も正道とみなしたくなりますが――

 世界史の枠内でみると――

 そうした気持ちは、しぼみます。

 

 少なくも――

 明治政府や中大兄皇子の政権のような事例を世界史の中に見出すのは――

 それほど容易ではありません。

 

 つまり――

 少なくとも頻度の観点でいえば――

 ――国軍が政府を創る場合

 のほうが正道であり、

 ――政府が国軍を創る場合

 のほうは邪道とみなさざるをえないのですね。

 

 ちょっと不思議な感じはしますが――

 それが結論です。

国軍が政府を創る場合

 ――現在のミャンマー政府は、ミャンマー国軍によって創られた。

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 ――政府が国軍を創ったのではなく、その逆であった。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 国軍が政府を創る場合――

 国軍の最高司令官が政権の首班となるのが普通です。

 

 その際に――

 その最高司令官が、軍人としての肩書以外に、文民としての肩書――つまり、非軍人としての肩書――を手にすれば、

 その政権は、

 ――軍事政権

 とは呼ばれなくなります。

 

 その最たる例はアメリカでしょう。

 

 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは――

 イギリスから独立を勝ち取る際に、国軍の最高司令官でした。

 

 が――

 独立を勝ち取った後――

 その独立国の最初の政権の首班となる際に――

 ジョージ・ワシントンは、

 ――合衆国大統領

 という文民としての肩書を手に入れ――

 そればかりか、国軍の最高司令官としての地位から退き、軍人としての肩書を捨ててしまったのだそうです。

 

 このジョージ・ワシントンの判断がなければ――

 その後の共和制の連邦国家としてのアメリカはなかったといわれています。

 

 アメリカほど徹底はされていなくても――

 例えば、今日の中国や北朝鮮、あるいは、かつてのソビエト連邦も――

 国軍が政府を創った経緯があるにもかかわらず、

 ――軍事政権

 とは呼ばれていません。

 

 それは――

 国軍の最高司令官が、一応は、文民として――軍人としての肩書も併せもつ政党の最高指導者として――政権の首班の座に就いたからです。

 

 ミャンマーは違います。

 国軍の最高司令官が、軍人としての肩書のままで――文民としての肩書を手にすることなく――政権の首班になった経緯があるのですね。

 

 きのうの『道草日記』で――

 ミャンマー国軍の前身の軍事組織を立ち上げのは、4日前のクーデターで政権の首班の座から追われたアウンサンスーチーさんのお父さん――アウンサン将軍――である、と述べました。

 

 本来ならば――

 アウンサン将軍が、そのまま政権の首班の座に就くはずでした。

 

 が――

 政権を執る直前に――

 アウンサン将軍は暗殺をされてしまいます――1947年のことです。

 

 アウンサン将軍の後継者は、生粋の文民と呼びうる活動家――ないしは、政治家――であったようです。

 その文民の後継者に対し、1962年、当時の国軍の最高司令官がクーデターを起こしました。

 

 そして――

 その最高司令官は、基本的には、軍人としての肩書のままで、政権の首班の座に就いたのです。

 

 以後――

 その政権は、

 ――軍事政権

 と呼ばれました。

ミャンマー国軍のクーデターは「わかりにくい」

 ――ミャンマーで2月1日に起こったクーデターは、さながら戦国大名のような軍閥の首領が、現代的な民主政治の指導者らを、武器の威力で屈服させた――というのが、実態ではなかったか。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 よって――

 ミャンマーで2月1日に起こったことは――

 民主政治の指導者らからすれば、

 ――クーデター

 以外の何事でもないのですが――

 軍閥の首領らからすれば、

 ――天下分け目の合戦での勝利

 と感じられるのではないでしょうか。

 

 いいかえるなら、

 ――軍閥の武力に対抗をし得るだけの武力を自前で調えられなかった政権の首班らが悪い。

 という理屈になるのでしょう。

 

 いわゆる近代以降の民主主義的な発想からすれば、

 ――時代錯誤も甚だしい。

 ということになりますが――

 いわゆる中世以前の権威主義的な発想からすれば、

 ――きわめて当たり前――

 ということになります。

 

 とはいえ――

 丸腰の政治家らに対し、武器で示威をするというのは、

 ――民主主義的

 とか、

 ――権威主義

 とかという前に、

 ――卑怯

 という気もします。

 

 さらにいえば――

 今回、ミャンマー国軍が倒した政権の首班は女性――アウンサンスーチーさん――でした。

 

 アウンサンスーチーさんについては――

 2016年に政権の首班となってから――正確には「事実上の政権の首班となってから」――否定的な評価も多く寄せられるようになり、必ずしもミャンマーの人々から絶対的に支持をされているわけではないことが判然としていましたが――

 今日のミャンマー国軍にとって、アウンサンスーチーさんのお父さん――アウンサン将軍――が、

 ――健軍の父

 と、みなされうる経緯を考えると――

 今回、ミャンマー国軍がアウンサンスーチーさんの政権をクーデターで倒したことは、権威主義的な発想に照らしても、

 (わかりにくい)

 といえます。

 

 つまり――

 民主主義的な発想に照らしても、権威主義的な発想に照らしても――

 どちらにしても、

 ――わかりにくい。

 ということです。

ミャンマー国軍は「国軍」ではなく「軍閥」ではないか

 ――ミャンマーでクーデターが起こったらしい。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 どうやら、

 ――起こったらしい

 ではなく、

 ――起こった

 といってよいようですね。

 

 いわゆる、

 ――国軍

 がクーデターを起こし――

 政権の首班を含む政府の高官や国会の議員らを根こそぎ捕らえたようです。

 

 ミャンマーでは国軍が強い政治的影響力をもっているとされてきました。

 

 その理由は様々に挙げられると思いますが――

 端的にいえば、

 ――現在のミャンマー政府は、ミャンマー国軍によって創られたから――

 です。

 

 政府が国軍を創ったわけではないのですね。

 

 今回のニュースに触れて――

 ミャンマー近現代史を軽くおさらいしてみたのですが――

 

 僕の印象では、

 ――ミャンマーの国軍は、「国軍」ではなく、むしろ「軍閥」と呼ぶ方が、しっくりくる。

 と、いえそうです。

 

 ここでいう

 ――軍閥

 とは、

 ――ある程度の広さの地域を実効的に治めている武装勢力

 くらいの意味です。

 中国の近現代史に出てくる「軍閥」と同じ意味です。

 

 1916年から1928年までの中国大陸では――

 特定の個人を首領と仰ぐ私兵の集団が幾つか勃興をしていて、各地を実効的に治めていました。

 

 いわゆる、

 ――内戦状態

 にあったわけです。

 

 その状態は――

 僕の理解では、

 ――中国における近現代史的な戦国時代

 と呼びうる状態です。

 

 ――軍閥の首領

 は、

 ――戦国大名のようなもの

 と、いい直せば――

 わかりやすいでしょう。

 

 そのような意味で――

 現在のミャンマー国軍は、

 ――国軍

 ではなく、

 ――軍閥

 と呼ぶ方が理解をしやすいのではないでしょうか。

 

 少なくとも――

 2日前からミャンマーで起こっている事態については――

 かなり理解がしやすくなります。

 

 ミャンマー国軍は、政府から独立をした資金源をもっているようです。

 

 そこから得られる資金の総額が、どれくらいなのかは――

 ちょっとネットで調べたくらいでは、わかりませんが――

 少なくとも、

 ――政府に首根っこをつかまれている。

 と形容されうるくらいに少額ではないのでしょう。

 

 政府に対して強気な態度で主張を繰り広げられるくらいに多額なのだと思います。

 

 ……

 

 ……

 

 報道によれば、

 ――国軍の総司令官が政権の首班らを捕らえ、自宅に閉じ込めている。

 ということなのですが――

 その内容は――

 おそらく、実態を正しくは反映していません。

 

 実態は、

 ――戦国大名のような軍閥の首領が、現代的な民主政治の指導者らを、武器の威力で屈服させた。

 に近いのではないでしょうか。

明治維新も大化の改新もクーデターで始まっている、と述べていたら……

 ――明治維新大化の改新もクーデターで始まっている。

 ということを、最近の『道草日記』で述べていたら――

 

 きのう――

 実際にミャンマーでクーデターが起こったようです。

 

 ……

 

 ……

 

 ――クーデターは、起こるのと起こらないのと、どちらがよいか。

 と訊かれれば――

 多くの人は、

 ――起こらないのがよい。

 と答えるでしょう。

 

 僕も、そう答えます。

 

 なぜなら、

 ――クーデターは、しょせんはズルだから――

 です。

 

 力のある者が――たいていは、国家や国家的組織の軍事を司っている者が――ズルをして――通常の政治的な手続きをなかったことにして――起こすのがクーデターです。

 

 その意味で――

 今回のミャンマーで起こったらしいことは、残念に思います。

 

 が、

 ――軍事を司っている者が政治を司る。

 というのは――

 有史以来、人の世に厳然として存在をする原理なのですよね。

 

 クーデターの良し悪しの評価は措いておいて――

 その原理だけは受容をしなければならない、と――

 僕は思います。

 

 そうしなければ――

 下手をすると――

 人の世では生きていけない――

 

 悲しいことですが――

 それが現実です。

 

 ……

 

 ……

 

 以上を踏まえた上で――

 あえて指摘をしておきたいのですが――

 

 クーデターが成功をするときは――

 必ず、そのクーデターへの人々の支持が、ある程度は集まったときです。

 

 明治維新大化の改新もクーデターで始まり――

 それらは一応は成功をしたといってよいと思いますが――

 

 そうなったのは、明治維新大化の改新への人々の支持が、それらの時代において、ある程度は集まったことを示します。

 

 今回のミャンマーで起こったらしいことに対し――

 人々の支持がどれくらい集まりそうなのか――

 注視をしていきたいと思います。

明治政府の首脳部は大化の改新のことをよくわかっていなかった

 ――大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の優れていた点は“クーデターを起こした者の責任感”であり、その“責任感”は明治政府の首脳部の誰もが希薄であった。

 ということを、4日前の『道草日記』で述べました。

 

 明治政府の首脳部は、なぜ中大兄皇子から学ばなかったのでしょうか。

 

 歴史を軽んじていたのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 大化の改新のことが、ある程度、知られるようになったのは――

 昭和前期に入ってからのことです。

 

 明治政府の首脳部がクーデターを起こし、政権を奪いとったときには――

 ほとんど知られていなかったようです。

 

 ……

 

 ……

 

 このことは――

 僕にとっては、かなり意外でした。

 

 実は――

 大化の改新のことが広く知られるようになったのが昭和前期に入ってから、ということを――

 僕は、つい最近まで知りませんでした。

 

 てっきり、

 (明治政府の首脳部は、大化の改新を手本に明治維新を起こした)

 と思い込んでいました。

 

 (その割には、中大兄皇子のことをよくわかっていない。なぜ明治政府の首脳部は中大兄皇子に倣って“権威と権力との緩やかな統合”を目指さなかったのか)

 と訝っていました。

 

 ……

 

 ……

 

 裏を返すと――

 

 もし、明治政府の首脳部が、現代の僕らと同じくらいに、大化の改新のことをわかっていたならば――

 もう少し違ったやり方を採っていた可能性がある――

 ということです。

 

 12月30日や12月31日の『道草日記』で――

 有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王のことに触れましたが――

 

 ひょっとすると――

 この親王中大兄皇子の役割を当てていたかもしれません。

 

 つまり――

 権威の体現者である明治天皇に代わって、有栖川宮熾仁親王を権力の行使者とする――

 ということです。

 

 そうしていれば――

 明治政府においても、軍事・外交・政治が混然一体に担われていたはずで――

 そうなっていれば――

 後年の“統帥権干犯問題”は生じず、ひいては無責任な政体――政治の体制――も生じず、「太平洋戦争」の苦汁を舐めることもなかったかもしれない――

 そう思います。