――人は変わる。
と、よくいわれます。
――あの人は、変わった。
などの述懐は、肯定的なものであろうと否定的なものであろうと、人の世では、しばしば口にされるものです。
ほかならぬ自分とて日々、変わっていきます。
変わるのは、ほかの人だけではありません。
では――
なぜ人は変わっていくのか――
その答えは――
きのうの『道草日記』で述べた示唆――
すなわち、
――「自我」とは、“過去の感覚”の集積――より正確には、“過去の感覚”の痕跡の集積――が、脳や心の中に作り上げる何かである。
との示唆によれば、すぐに出てきます。
人が変わっていくのは、自我が変わっていくからです。
つまり、“過去の感覚”の痕跡の集積が変わっていく――
感覚は、“現在の感覚”として、絶えず、脳に受け入れられ続けます。
それら感覚の一つひとつが脳に痕跡を残す――“過去の感覚”として、痕跡を残す――
ということは――
“過去の感覚”の痕跡の集積は日々その内容を変えていく――
ということです。
もちろん、“過去の感覚”の痕跡の集積は、それが“集積”である以上、劇的には変わりません。
基本的には、日々ただ増えていくだけの単純な変化です。
が――
おそらく、“過去の感覚”の中で、とくに重用されるものとそうでないものとの区別が変わっていきます。
その区別は、ときに劇的に変わっていく――
では――
“過去の感覚”の区別を劇的に変えていくものは何か――
おそらく――
“過去の感覚”がもたらした衝撃でしょう。
“過去の感覚”が、どれほどの衝撃をもって脳ないし心に受け入れられたかによって、その“過去の感覚”が、その後、どれほどに重用されていくのかが決まってくる――
そういうことであろうと思います。