マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

疫学の教科書を書き換える

 イギリス政府が、

 ――感染急増の緩和

 から、

 ――感染拡大の抑圧

 へ舵を切ったことの背景について――

 きのうの『道草日記』で私見を述べました。

 

 日本国政府は――

 今のことろ、

 ――感染急増の緩和

 を採っています。

 

 ただし――

 イギリス政府とは違って、きわめて玉虫色の説明をしているので――

 一見、

 ――感染拡大の抑圧

 を採っているかのようでもあります。

 

 そのことを、

 ――日本国政府はイギリス政府と違って誠実さに欠けている。

 とみるか、

 ――日本国政府はイギリス政府よりも遥かに老獪であった。

 とみるかは難しいところですが――

 僕は、肯定的にとらえたいと思っています。

 

 が――

 3月下旬になって――

 日本でも爆発的な感染急増の兆しが顕わになってきました。

 

 そろそろ、“感染急増の緩和”を(少なくとも表向きは)取り下げて“感染拡大の抑圧”へと方針転換を図るでしょう。

 

 日本国政府としては――

 日本国民の多くが、普段の日常から懸け離れた生活を容認しうると判断できれば――

 “感染拡大の抑圧”へ移行をしない理由はなくなります――たとえ、その目標が到達しえない目標であったとしても――

 

 それは――

 決して非合理的な政策判断なのではなく――

 国民の感情を考慮に入れた極めて合理的な政策判断なのかもしれません。

 

 やはり――

 一国の政府が、

 ――相応の感染死者数が出る見込みである。

 と公式に表明をすることは――

 3月12日以降のイギリス世論の動向やイギリス政府の対応が示す通り――

 ちょっと劇薬にすぎたのでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 感染症政策の合理性を追究する学問として、

 ――疫学

 があります。

 

 この学問の本場はイギリスです。

 

 イギリス政府は伝統的に疫学に強い――そして、イギリス国民の多くは、その伝統を支える素地をもっている――

 それゆえに、イギリス政府は、感染症政策の合理性を冷徹に追及しうるであろう、と――

 

 が――

 実態は違いました。

 

 (あのイギリスでさえ、感染症政策の合理性を冷徹に追及することは許されなかった)

 

 それは――

 僕にとっては驚きでした。

 

 (今回のイギリスの事態は疫学の教科書を書き換える)

 と――

 僕は思っています。