マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

みたかった

 志村けんさんが亡くなりました。

 昨夜の11時すぎのことであったそうです。

 70歳でした。

 

 いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症の闘病が伝えられていました。

 3月17日に初期症状を自覚され、3月23日に新型コロナ・ウイルスが検出されたそうです。

 所属されていた事務所によると、3月21日からは意識がありませんでした。

 肺炎が重篤であったと想像されます。

 

 初期症状を自覚されてから、わずか2週間足らず――

 ウイルスが検出されてから、わずか1週間足らず――

 

 速いですね。

 

 とても速い――

 

 これが――

 新型コロナ・ウイルス感染症の恐ろしさなのですね。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 感染者の全員がこうなるわけではありません。

 

 きょうまでに報道された内容によると――

 全体の10~30%ほどが重症化し、3~10%くらいが重篤化して――

 おそらくは0.3~3%ほどが命を落とされます。

 

 その0.3~3%の中に――

 志村けんさんは入ってしまわれたのですね。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は1970年代の生まれですので、

 ――志村けん

 といえば、喜劇の大スターです。

 

 小学校の頃は――

 志村さんのTV番組を毎週、夢中でみていました。

 

 が――

 

 中学校に上がった頃に少し関心が薄れ――

 高校生になる頃には――

 (そこまで好きじゃないな)

 と思うようになりました。

 

 そう思う一方で――

 志村さんの印象は、なぜか年々よくなっていきました。

 

 それは――

 喜劇の主役を演じていらっしゃらないときの表情や口調に、謙虚で誠実なお人柄が感じとれたからです。

 

 (本当は、こういう人なんだ)

 と感じ入りました。

 

 (つまり、生粋の職人でいらしたのだ)

 と理解しました。

 

 志村さんの笑いは、緻密に計算し尽されていたといいます。

 

 それは――

 一言でいえば、

 ――どんな人にも伝わる笑い

 です。

 

 例えば――

 子どもでもわかる笑い――大人と幼児とが共有しうる笑い――言葉の壁を越えうる笑い――文化の壁さえも越えうる笑い――

 そういう、いわば、

 ――普遍的な笑い

 を追究されていたのだ、と――

 周囲の人たちが語っています。

 

 ――生粋の職人

 とは――

 つまりは、そういうことです。

 

 ……

 

 ……

 

 今年、映画の主演が決まっていたそうです。

 山田洋次さんの監督作品でした。

 

 70歳にして――

 映画は初主演でした。

 

 緻密に計算し尽くす芸風ですから――

 師匠――いかりや長介さん――が、そうであったように――

 通常の俳優業も、お手のものであったと推察されますが――

 

 喜劇以外のオファーは、できる限り断っていらしたそうです。

 

 ――喜劇役者の分をこえないように――

 との信念をお持ちであったといわれています。

 

 その信念を措いてのことであったか、あるいは曲げてのことであったのか――

 山田洋次さんのオファーを受けられたお気持ちの変化は、もはや二度と明らかにされませんが――

 それゆえにこそ、余計に気になってしまいます。

 

 いったい、どんな演技をおみせになっていたのでしょうか。

 

 おそらく――

 職人の矜持を存分に示すお芝居であったのでしょうね。

 

 ……

 

 ……

 

 みたかったですね。

 

 心から、そう思います。