マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どのような経緯で臆病になったのか・続き

 ――日本人は、深刻な疫病や戦禍による人口の激減をほとんど経ていないので、不安の感受性を高める遺伝子をもっている人の割合が、外国人と比べ、有意に高いのではないか。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 が、

 ――ちょっと腑に落ちない感じもする。

 とも述べました。

 

 たしかに――

 ペスト(黒死病)についていえば――

 日本列島では、6世紀から8世紀にかけての第一次パンデミックや14世紀から19世紀にかけての第二次パンデミックの影響はほとんど受けていないとみられます――ヨーロッパや中国では、人口が半減をしたり、ほぼ皆無になったりした国や地域が多々ありました。

 

 また――

 都市城塞戦についていえば――

 日本では、紀元前2世紀にローマによってなされたとされるカルタゴの大虐殺や、17世紀に満州満洲)族によってなされたとされる揚州の大虐殺のような記録はありません――カルタゴや揚州では、兵か民かを問わず、そこに暮らしていた人々の大半が殺されたといいます。

 

 よって――

 そのような人口の激減が、日本列島では、過去数千年の間、どうやら一度も生じていないらしい、ということは何となく認めるにしても――

 

 そのような人口の激減が生じていない国や地域は、ほかにも数多くあるように思えます。

 それは、必ずしも日本に固有の事情とはいえないのではないでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (実は地理的な要因が、案外、大きいのではないか)

 と思っています。

 

 地図で日本列島およびその周辺をみると――

 日本列島には、近代に至るまで、

 ――出口

 がなかったように思えます。

 

 ここでいう「出口」とは――

 日本列島を去ろうとする流民・移民の通り道です。

 

 ――入口

 はありました。

 

 つまり――

 日本列島に来ようとする流民・移民の通り道です。

 

 朝鮮半島経由、南西諸島経由、樺太経由、千島列島経由などの海の通り道です。

 

 が――

 それらの道は、どれも日本列島とユーラシア大陸東部とを繋ぐ道です――例えば、朝鮮半島から入って南西諸島へ抜ければ、元の大陸に戻りますし、南西諸島から入って千島列島へ抜けても、やはり元の大陸に戻ります。

 

 しかも、それらの道は、いずれも隘路です――簡単に通れる道ではない――

 

 このような――

 いわば、

 ――“袋小路”のような地理的状況

 が、日本列島に不安の感受性を高める遺伝子をもっている人を数多く住まわせた要因ではないか、と――

 僕は感じます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――不安

 に苛まれる人は――

 とにかく、どこかへ――ここではない、どこかへ――逃げたがるものです。

 

 ――入口

 があれば、たとえ、かなり不便であっても、その中へ逃げ込むことはします。

 

 が、

 ――出口

 がなければ、その中から逃げ出しようがない――

 

 その結果――

 日本列島では、不安の感受性を高める遺伝子をもっている人たちが、他の地域と比べ、有意に多く残った――

 言葉を悪くしていえば、

 ――吹き溜まりのように残った。

 

 そういうことではないかと思うのです。 

 

 もちろん――

 日本列島の自然環境が、少なくとも短期的な視点では――地震や噴火などの自然災害の危険性を中・長期的な視点でみなければ――すこぶる穏やかで、安らかで、豊かであったことも、大きな要因に違いありません。