マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

広大な“出口”のある地域にとどまる発想

 いわゆる、

 ――満州地域

 は――

 朝鮮半島や日本列島と違って、

 ――“出口”も“入口”も広大――

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 “満州地域”の人々の営みは、

 ――遼河文明

 に端を発していると考えられています。

 

 ――遼河

 とは、“満州地域”の南部を流れる川です。

 全長は約1400kmで、黄河の約4分の1ですが、日本の信濃川千曲川)の4倍ほどあり、なかなかの大河です。

 

 この川の流域に――

 遅くとも紀元前6000年頃から、人々が定住を始め――

 いわゆる新石器時代の文化・文明が築き上げられたと考えられています。

 

 それが、

 ――遼河文明

 です。

 

 当時は、水資源が豊かであったようで――

 現在では砂丘になっているようなところにも、深い森や湖が広がっていたと考えられているそうです。

 

 日本の近現代史に出てくる「満州」のイメージとは少し違います。

 

 が――

 紀元前2000年頃から気候変動が生じ始め――

 豊かであった水資源が失われて――

 人々の多くが南西を目指して去っていったと考えられています。

 

 この頃から、“満州地域”の“出口”は――

 すでに広大であったといえます。

 

 もちろん――

 とどまった人々もいたでしょう。

 

 どのような人々がとどまったか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――不安の感受性を高める遺伝子をもっていない人たち

 である、と――

 僕は思います。

 

 ――まあ、何とかなるだろう。

 と思えた人たちですね。

 

 あるいは、

 ――先祖伝来の地をあえて捨てていく危険性というのもある。

 と冷静に判断を下せた人たちです。

 

 つまり、

 ――たぶん、どっちもどっちだ。だったら、とどまるか、

 と考えた人たち――

 そういう人たちが、“満州地域”に残っていったと考えられます。

 

 それが、広大な“出口”のある地域にとどまりつづける人たちの基本的な発想であり――

 日本列島や朝鮮半島に流れついた人たちとは根本的に違う発想をとるのだ、と――

 僕は考えています。