マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

清の太宗ホンタイジは、どうか

 ――“感情の分布図”の“憂・勇”領域に配される人物とは?

 ということを――

 おとといの『道草日記』から問うています。

 

 “憂・勇”領域に配されるのですから、

 ――勇みやすい気質

 をもっていることが必要です。

 

 そういう人物は、日本列島よりは、“満州地域”に多そうである、ということも――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 それで、

 ――清の太祖ヌルハチ

 を考えてみましたが――

 ヌルハチは、

 ――“勇・喜”領域に配される人物

 です。

 

 では――

 ヌルハチの後継者たちは、どうでしょうか。

 

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 ヌルハチは、自分が作り出した国家が中国の全土を支配下に収めることは知らずに亡くなっています。

 

 裏を返すと――

 ヌルハチは、後継者たちに抜群に恵まれたのです。

 

 そもそも、

 ――清

 という国号(皇朝の名称)を用いると決めたのは、ヌルハチではありません。

 子のホンタイジです。

 廟号でいうと、

 ――清の太宗

 です。

 

 清の太宗ホンタイジは、名が伝わっていません。

 ――ホンタイジ

 というのは「皇太子」という意味の一般名詞なのです。

 

 このことは――

 つまり――

 たんに「ホンタイジ」といえば、「ヌルハチの皇太子」という意味になってしまうくらいに、ヌルハチは偉大な指導者であった、ということです。

 

 が――

 このホンタイジは、ヌルハチに勝るとも劣らない広い視野を備えていました。

 

 ヌルハチは、自分の作り出した国に、

 ――後金

 という名称をつけています。

 ――(14世紀の)金の後を継ぐ国

 という意味です。

 14世紀の金にあやかりたかったのだと考えられます。

 “満州地域”から黄河流域に入り、中国の北半分を支配下に収めた金は、“満州地域”の人々には憧れの的であったのでしょう。

 

 が――

 そうした発想の難点に、ホンタイジは気づきました。

 

 ――金は結局は中国の全土を支配下に収めることができなかった。

 という難点です。

 

 “満州地域”に平穏をもたらすには――

 中国の全土を支配下に収める以外に道はありませんでした。

 

 中国に強力な国家があれば――

 その国家が、“満州地域”に騒乱をもたらし、“満州地域”が豊かになるのを妨げるからです。

 

 よって――

 14世紀の金は、中国の全土を支配下に収めようと試みた――

 が、その試みは失敗に終わっているのです。

 

 ――金の轍(わだち)は踏まぬ。

 

 ホンタイジは、「後金」という国号を、

 ――清

 に改めます。

 

 歴史をよく知り、かつ偉大な父を冷静かつ相対的にみることができていたからこその決断といえます。