マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

12世紀の金と17世紀の清とに違いはあったか

 いわゆる、

 ――満州地域

 で12世紀に興った金と17世紀に興った清とでは――

 その後の顛末が、かなり違っています。

 

 金は中国の北半分――黄河流域――を支配下に収めましたが――

 100年ほどで瓦解をしました。

 

 清は中国の全土を――黄河流域も長江流域も――支配下に収めた上で――

 さらに周辺へと領土を広げていき――

 300年にわたって東アジアの覇権を握りました。

 

 金と清とで何が違ったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (本質的には何も違っていない)

 と感じています。

 

 金は、“満州地域”の人々が中国の全土を支配下に収めようとした最初の試みでした。

 黄河流域や長江流域の流儀を踏まえつつ、“満州地域”の流儀も保った上で、中国の全土を支配下に収めるには、どうしたらよいか――

 そのことを初めて真剣に考えた人々でした。

 

 最初は、自分たちのいう通りになりそうな皇帝を新たに立て、傀儡国家を作り上げて、その国家を通し、間接的に支配をしようと試みたようですが――

 うまくいきません。

 

 この最初のつまずきが響いたのか――

 金は、結局、最期まで中国の南半分を手にできずに滅びます。

 

 その金の失敗を――

 清は、よく観て、よく考えたようです。

 

 その結果――

 まず、黄河流域や長江流域の人々が心の底から「許せない」と思うことを控え、人心の離反を防ぎました。

 

 次いで、既存の国家の仕組みをそのまま借りることで、中国の全土を円滑に支配下に収める手法をとりました。

 

 ここでいう「既存の国家の仕組み」とは

 ――明

 のことです。

 明は、清が黄河流域に押し寄せる直前まで中国の全土を治めていて、国内の反乱勢力によって都を攻め落とされて滅んでしまった皇朝です。

 

 清は、明の皇位だけでなく、その支配体制もそっくり受け継ぎました。

 そのことで、中国の全土をいち早く統治下に置くことができたと考えられています。

 

 こうした発想は、まさに、

 ――比較的、冷静で楽観的な発想

 の賜物といえますが――

 これを可能にしたのは、500年前の自分たちの祖先――金――の失敗であったに違いありません。

 

 金の失敗があったからこそ――

 清の成功があった――

 

 金と清との間に何か本質的な違いがあったということはない――

 あったのは、おそらく、失敗の前例から学べたか学びようがなかったかの違いだけである――

 

 そう僕は考えています。