12世紀に金を興した“満州地域”の人々は――
勇んで猛ることはあっても――
猛り狂うようなことはなかった――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
こう述べると、
――なぜ「猛り狂うことはなかった」といえるのか。
と訝る向きも出てくるでしょう。
たしかに――
金は宋の都を攻め落とした後、かなり酷い乱暴狼藉を働きました。
そのことだけをみれば――
このとき、“満州地域”の人々は、
――猛り狂っていた。
といってよいでしょう。
が――
その後、金は、宋から奪った版図を100年くらい保ちました。
これが着目に値するのです。
数日とか数カ月とか数年程度で失ったりはしなかったのですね。
もし、金が宋の都を攻め落とした後も、ただ猛り狂っていただけなら――
人心は離れ――
宋から奪った版図は、数カ月程度で失っていたでしょう――下手をすると、数日程度で失っていたかもしれない――うまくいっても、せいぜい数年程度です。
が――
実際には、100年くらいは失わなかった――
それは――
金を興した“満州地域”の人々が、
――比較的、冷静で楽観的な発想
のもと、
――隣国への侵略およびその征服
という成果を確実にあげていったからです。
……
……
金の時代から400年後――
“満州地域”の人々は、金のときよりも格段に巧みとなって、
――隣国への侵略およびその征服
の成果を手にします。
皇朝、
――清
を興した人々です。
清は、当初、
――後金
を名乗っていましたが――
金の失敗を繰り返したくないと考えたのでしょう。
建国後20年ほど経ったときに、
――清
に改めました。
このような点にも、“満州地域”の人々の、
――比較的、冷静で楽観的な発想
というのが――
みてとれるように思います。