マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「有機物」と「無機物」と――

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換えるには、あたかも“歳の離れた双子”を作り上げることである。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう「有機物」や「無機物」は、便宜上、用いた言葉です。

 

 実は、

 ――有機

 とは何かとか、

 ――無機物

 とは何かとかいったことを真剣に考え始めると、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換える。

 というのは、何とも珍妙な意味になります。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――有機

 や、

 ――無機物

 の字義について、やや厳密に述べれば――

 以下の通りです。

 

 ――有機

 とは、

 ――炭素を含む化合物の大部分であり、その分子は炭素原子どうしが強く結びついて骨格を成している化合物

 と記せます。

 

 一方、

 ――無機物

 とは、

 ――有機物でない化合物

 と記せます。

 

 人を含む生物の体――生体――は主に有機物から成っています。

 

 実は――

 「有機物」の、

 ――有機

 というのは、本来は、

 ――生物的な性質をもつ

 くらいの意味でした。

 つまり、

 ――有機物の体

 というのは、

 ――生物

 と、ほぼ同義なのです。

 

 また、

 ――有機物でない化合物

 が、

 ――無機物

 から、

 ――無機物の体

 というのは、

 ――無生物

 と、ほぼ同義となります。

 

 つまり――

 字義通りに考えれば、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換える

 というのは、

 ――自分たちを生物から無生物に作り換える。

 という意味になります。

 

 (なんのこっちゃ?)
 と思いますよね。

 

 (「自殺をする」というのと、何が違うのか)

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 僕のいう、

 ――自分たちの体を有機物から無機物に作り換える。

 というのは、

 ――自分たちの体を自然物から人工物に作り換える。

 くらいの意味です。

 

 つまり――

 「有機物」は、

 ――生体に関わる自然物

 くらいの意味で用いていて――

 「無機物」は、

 ――生体に関わる人工物

 くらいの意味で用いています。

 

 決して、厳密な意味での「有機物」や「無機物」ではありません。